プレシアなのはフェイト

06



 無数の管理世界に無数の人間がいれば、管理局が取り締まるべき犯罪者の数も尋常ではなく、彼らを収容するための拘置所もまた星の数ほど存在した。そのどれもが内外どちら側に対しても堅牢であったが、ジェイル・スカリエッティが収容される拘置所こそが、数ある中でも特別に厳重とされる三の軌道拘置所の一つ『グリューエン』だった。
 軌道拘置所とは、文字の通り無人世界にある惑星の衛星軌道上に設置された拘置所である。その物理的なアクセスの難易度は他の比ではなく、ここに収容されるのは管理局が特に危険人物と判定した重犯罪者に限られた。ミッドチルダ住民すべてを人質にとったテロリストであり広域次元犯罪者の中でも筆頭と目されていたスカリエッティにはうってつけの拘置所である言える。
 この施設に収容された犯罪者を逃がすまいとする管理局の努力は著しい。起こりえる本人の自発的な脱走や外部からの救出の機会をなくすべく、通常ではありえない通信による事情聴取および一次裁判がおこなわれるほどである。
 この日も捜査官たちは、ようやく迎え入れることができたVIPを決して退屈させまいと、モニタ越しに徹底的なもてなしをおこなうつもりでいた。
 しかし、そこに横槍を入れる者がいた。
 次元航行部隊に所属する若き提督クロノ・ハラオウンだった。
 この提督がまた経歴だけ見れば実に嫌味なエリートで、次元世界を守るためにロストロギアを道連れに自らの艦と共に沈んだ勇敢な提督を父に持ち、同じく元提督であった母は現役の総務統括官、クロノ・ハラオウン本人は艦隊指揮官、執務官長を歴任して歴戦の勇士とまで呼ばれたギル・グレアムに師事したあと弱冠十一歳で執務官試験に合格、以降はAAA+級魔導師として母の艦の次席を勤めて経験を積み、やがて提督となると母の艦を継いで艦長として活躍、現在は二十五歳にしてXV級艦を駆る艦長である。更に聖王のゆりかごの撃墜に尽力した一人ともくれば、ここまでスカリエッティから有力な自供の一つも取れずにいる不甲斐ない捜査陣としても期待するものがあり、ハラオウン提督の要請には首を縦に振らざるを得なかった。
 ハラオウン提督は、聖王のゆりかごを叩いた直後、返す刀で別の任務に赴き、そこで担当した事件も見事終息させてきたらしい。その事件の首謀者がスカリエッティの関与を認めたことで、裏をとりたい、とのことだった。

 そして、彼がモニタを通してスカリエッティと対面したとき、これまで黙秘を貫いてきた黄金の瞳が爛々としたのを、捜査官たちは見た。







 ――おや。君は初めて見る顔だ。ということは、彼女は無事にやり遂げたということかな? 予想よりもやや遅かったが、なにか予期しない障害でもあったのだろうね。うん? いいや、それは嘘だろう。私は管理局員よりも管理局のキャパシティについて詳しいつもりだよ。あの時点の君たちでは、彼女が心変わりでもしない限り、どのような手を打っても止められなかった。それで、嘘をついてまで君は私になにを聞きにきたのかね? 

 ――構わないとも。ちょうどいい機会だ、話しておこう。しかし、プレシアについて語るには、まずどちらのプレシアについて聞きたいのか、はっきりさせなくてはならないはずだが。

 ――なるほど。そういう反応をするということは、彼女は色々と話してから行ったらしい。ならばそれほど長くはならないだろうが、まあ私の退屈しのぎにでもつきあってくれたまえ。

 ――始まりは、そう、プロジェクト・フェイトについて調べる者がいるのに気づいたことだ。その調べ方がどうにも杜撰でね、放っておけば君たちでもすぐに見つけられる程度、と言えばわかりやすいかな? あまりにも露骨なので、最初はこちらの反応を見るための囮かと思ったほどだ。しかし、しばらく観察してみたところ、そうではないらしい。プロジェクトFのような秘匿された技術の存在を知りながら、驚くほど稚拙な調査の手法。それも、こちらの気を引くための動きではない。逆に興味が湧いて足跡をたどってみれば、あっさりとたどり着いたよ。プレシア・テスタロッサ。上層部の都合を押しつけられたあげく、すべてを失い追放された優秀な魔導工学の研究開発者。いつの時代もこうして優秀な才能から失われていく。ああ、実に嘆かわしいことじゃあないか。

 ――私は彼女に手をさしのべることにした。これが、ちょうどジュエルシードが発掘された頃に当たる。プレシアは必ず応えてくれると思っていたよ。彼女の経歴を見れば、プロジェクトFを必要とする理由は明らかだったからね。

 ――そうしたら、まあ驚いたと言ってもいい。この感情は、君にも共感してもらえると思う。なにせ、現れたのは全くの別人だ。最初はアリシア・テスタロッサかとも思ったが、しかし彼女はたしかに死んでいた。生きていたとしても、外見と年齢が一致しない。

 ――さて。では彼女は誰だったのか。







 クラウディアのブリッジには、クルーたちに加えてなのはとフェイトがいた。
 フェイトを連れてきたのははやてだった。その行動に打算がなかったといえば嘘になるが、同時にフェイトのためでもある。大事な家族との最後の言葉を覚えているはやてだから働いた、なにか勘のようなものに突き動かされたのかもしれない。
 ブリッジ正面の巨大なモニタの中をプレシアが歩く。床を規則正しく叩く硬い音が響く。カメラの視点は彼女を追いかけ、隣の部屋に移った。

「――――」

 映し出されたものを見て、ブリッジにいた全員が息を飲んだ。半ばまで予想していた者たちも例外ではない。
 理解するべきではないと本能が警鐘を鳴らす。冷静で論理的な思考は凍結し、自らの理性を守っていた。

 異様な光景だった。

 薄暗い部屋。

 光源はわずかに二つ。

 真空の宇宙に浮かぶ連星のように並んだそれは、人を収めた円柱の容器。

 一方には、皆が資料でだけ見知ったプレシア・テスタロッサ。
 もう一方には、フェイト・テスタロッサと鏡写しの少女。
 どちらも目を閉じ身動きせずに、容器の中の液体に静かに揺られている。

「ここは、元は母の研究室でした」金の髪のプレシアは穏やかな声で言うと、少女を収めた容器の表面にたおやかな手つきで触れた。「もう、十年も昔の話です。どこにもいない母の姿を探してここに入った私が見たのは、この生体ポッドと、血を吐いて倒れ伏す母の姿でした。あとで知った話ですが、不治の病だったそうです。母はそのとき既に亡くなっていて、私は私で混乱していたのでしょう、使い方も分からないはずの空の生体ポッドに母の遺体を収めました」プレシアは目を伏せる。「……もしかすると、心の底では理解していたのかもしれませんね。ポッドの中で眠る、自分そっくりな少女。優しかったはずの母さんが私を見るあの目」

 数秒、プレシアは黙り込む。
 クラウディアにも言葉を口にするものはおらず、完全な沈黙が落ちる。眠たげなライオンが喉を鳴らすような低い機械の音だけが遠く響いていた。
 はやての視界の端で、なのはと手をつないだフェイトの体が不安げに揺れる。
 プレシアがこちらに向き直る。
 完全に制御された無表情だった。

「プロジェクトFについてはご存じですか? スカリエッティが逮捕されたと聞きましたから、調べれば出てくるでしょう。簡単に言えば、クローン技術と記憶転写技術を掛け合わせ、人間の完全なコピーを作り出そうとする研究です。その基礎を作り上げたのがスカリエッティ。受け継いだのが私の母でした。
 母。……きっと、私の母親であるつもりはなかったのでしょうね。
 ……残されていた研究の記録から、私が母に作られた存在であるということはすぐにわかりました。オリジナルは、もちろんこの子、アリシア・テスタロッサ。彼女は正真正銘、母の娘です。アリシアが亡くなった経緯と、その後の母の足取りについては、もう調べがついているでしょう。
 母がプロジェクトFを受け継ぎ研究を進めたのは、もちろん、アリシアを生き返らせるためでした。私が存在していることが、その証明です」

 抑制された速度で話し終えると、プレシアはこちらに背を向けた。
 その赤い瞳はどこを見ているのだろう。

「けれども」

 プレシアの体がこわばった。
 つづいたのは血を吐くような苦しげな声だった。

「私は、アリシアにはなれなかった」







 ――彼女は自分の環境について詳しい話をしたがらなかったし、私も興味がなかったので聞きはしなかったが、何があったかは推測できる。

 ――母親の愛に飢えていた幼い少女が考えることなど、想像に難くない。目の前にはプロジェクトFがあるのだから、それを使って母を生き返らせればいい。しかし、自分自身というこれ以上ない好例によって、プロジェクトFが不完全だともわかっている。なのでまずはプロジェクトFを完成させる必要があった。上手くいけばアリシア・テスタロッサをも生き返らせて、母に褒めてもらえるかもしれない、などと考えたのだろう。

 ――つけ込んだ? 人聞きの悪いことを言わないでくれたまえ。私はただ、哀れな少女に少しだけ力を貸してあげただけさ。私自身が完成させてもよかったのだが、あいにくと戦闘機人の研究で忙しくてね。私がしたことと言えば、精々が指導と助言くらいだ。

 ――彼女は実に優秀な生徒だったよ。飲み込みが良く、頭も良い。元々、彼女の母が半ばまで完成させていたこともあり、プロジェクトFの改良は順調に進んだ。完成までにはそれほど時間はかからなかった。

 ――それでも先にアリシアのクローンを作ろうとしたのは、万が一にも母親の失敗作が生まれることを恐れたのかどうか。彼女が話さなかった以上、先にアリシアで試したという事実があるだけだ。結果はもちろん失敗。出来上がったのはアリシアではなく、フェイトだった。新しいプレシア・テスタロッサ、新しいフェイト・テスタロッサが同時に誕生した記念すべき瞬間だよ。プレシアがどうして自分と同じ顔をした失敗作を処分しなかったのか……、実に興味深い。

 ――彼女は行き詰まっていた。行き詰まっていたと言うなら彼女の母の時点でそうだったようだがね。とにかく、彼女には新しいアプローチが必要だった。母親を諦めるという選択はない。そこで、クク、見るに見かねた私は、ジュエルシードについて教えて差し上げたのだよ。次元震を引き起こして虚数空間への扉を開き、虚数空間を航行して旧暦の時代、アルハザードが存在していた時代にたどり着く可能性。それから最近までの数年は、彼女の研究は生命操作技術から離れ、そちらに移っていた。なぜアルハザードの存在を信じたのか? ああ、それは私がアルハザード由来の技術によって作り出された存在だからだろう。

 ――プレシアがやり遂げたということは、彼女は今頃、というのもおかしな表現だがね、過去の世界のアルハザードにたどり着いているはずだ。今だから言うが、アリシア・テスタロッサが完全に複製されなかったのは、やはり彼女の生命活動が停止していたのが大きな理由だろう。あれは元はと言えば、死んだ者を蘇らせるための技術ではなく、生きた人間の予備を作り出す技術、すなわち延命の一種なのだから。

 ――もしアルハザードにも死者を蘇生する技術がなかったならば、『プレシア』の次の研究はそのまま死者の蘇生か、あるいは……







 自身の歩んできた道のりを話し終えたプレシアは「もう、これ以上話すことはありません」と締めくくった。

「私は、これからジュエルシードで次元震を起こすつもりです。必要以上に被害が広がらないように制御する準備はありますが、もちろん信じてもらえるとは思っていません。そうでなくとも、管理局としては保険をかけざるを得ないでしょうから、少しだけ待つことにします」
「こちらには、あなたの娘も含めて四名、AAA級以上の魔導師が存在するが」クロノがプレシアを睨み付ける。
「こちらにも、S級二人までなら一分以内に撃退する用意があります。場合によってはジュエルシードも使いましょう」プレシアは子供を諫める母親のように言う。彼女の周囲に、十六の青い宝石が浮かび上がり円形を描く。そのどれもが、たった一つで次元震を起こすほどの莫大なエネルギーの塊だ。それらは完全に制御されているようだった。

 クロノが歯を噛む。初めて見せる悔しげな表情だった。

「――わかった。では五分」クロノはちらりとフェイトたちの方に目を向けた。「いや、十分ほど待ってほしい」
「わかりました」

 プレシアの返事を待たず、クラウディアのクルーたちは慌ただしく動きはじめた。時の庭園から送り返されてきた武装局員の救護にも人手を取られていたため、忙しくない者はいないほどだ。例外は民間人のなのはと重要参考人のフェイトだけだった。
 なのはは口をつぐんだままのフェイトを見てから、モニタの中の女性をまっすぐ見つめた。

「えっと、プレシアさん……、でいいですか?」
「構いませんよ。この場でいまさらフェイトに戻るつもりはありません」

 つないだフェイトの手に力がこもる。
 なのははその手を離してしまわないように、押しつぶしてしまわないように、優しく握り返す。

「プレシアさんは、どうして――」浮かぶ言葉がたくさんあって、声が途切れた。
「どうして、その子を置いていくのか」なのはの言葉を引き継いでプレシアが言う。「私の妄執にその子を付き合わせるつもりがないだけです。それに、何事にも失敗の危険はある。万が一にもその子を巻き込みたくありません」
「だったら……、だったらそうやって一人で決めてしまわないで、きちんと話してあげてください!」
「ええ、きっと、怖かったのでしょうね。私は、母親としてフェイトを愛したつもりでした。ずっと、自分がこうしてほしいと思うように。母を諦めようと思ったことも、一度や二度ではありません。でも、結局、私の人生は娘を愛するためではなく、母に愛してもらうためのものだった。……そう伝えて、その子に嫌われてしまうのが怖かった。だから、突き放して、顔も見えず罵声も届かないところに置いて、一人で安心していたのでしょう」プレシアは他人事のように言った。不自然なほどに抑揚のない口調だった。「最初は、管理局に預けるつもりでした。けれど、高町なのはさん、あなたがいてくれてよかった。フェイトをあなたに任せると決めたのは、自分のために動いた結果、その子を見なくなった私よりも、自分のために動いて、結果、その子を見つめてくれたあなたが相応しいと思ったから。あなたと、あと十年はやく会いたかった」
「まだ、間に合います」
「いいえ、もう遅い。あなたに救われるのは、もう一人の私に任せることにします」

 プレシアはなのはから視線をそらすと、初めてフェイトを見る。

「ごめんなさい。私は、あなたの母親にはなれなかった。許してほしいとは言わないし、幸せを祈る資格もないけど、でも、どうか――」

 プレシアの言葉を遮るように、初めてフェイトが口を開いた。

「ずっと、考えていました。どうしてわたしが捨てられたのか。なにか失敗して、怒らせてしまったのかもしれない。嫌われて、もう側にいたくなくなってしまったのかもしれない。もしかしたら、愛されていると思っているのはわたしだけだったのかもしれない」つないでいたフェイトの小さい手が、なのはの手からするりと抜けた。「でも、そうじゃなかった」

 フェイトはただひとり、もう大丈夫だと告げるように自分の足で立って。
 それを見るプレシアは、目を細める。

「あなたは、わたしの母さんです。だから、ぜんぶ許します。わたしがあなたの娘だから。あなたがわたしの母さんだから」力強い声だった。

 フェイトはプレシアに微笑みかけた。

「わたしは今まで、母さんにたくさん愛してもらいました。
 頭をなでてもらいました。抱きしめてもらいました。優しい声で名前を呼んでもらいました。
 だから、わたしはもういいから――







 ――さて。いま、君以外にも私たちのやり取りを聞いている管理局員の諸君がいるはずだ。プレシアの事件がおわり、君たちも手が空いたことだろうから最後に一つ教えてあげようじゃあないか。君たちの中には、これまでの捜査の中でプロジェクトFを知った者もいれば、今の私の話で知った者もいるかもしれない。そして、プロジェクトFという前提知識があれば、賢明な諸君ならばもう予想はついているだろう。

 ――そう。どうして私がプレシアに合わせて、自分の計画を準備不足のまま前倒しにできたのか。もちろんプレシアの成功を祈ってはいたが、自分を犠牲にするほどではない。それがどうしてこんなにあっさりと捕まり、この拘置所にいるのか。

 ――つまり、どうしてここにいる私が用済みになったのか、という話さ。

 ――ご存じの通り次元世界は広い。これから十年、五十年、百年。せいぜい犬のように這いつくばり、いくつ有りいつ芽吹くかも知れない種を必死で探し続けてくれたまえ。