プレシアなのはフェイト

05



「は、はじめました!」友人の上司ということで緊張していたなのはは、いきなりおかしな挨拶をした。

 場に沈黙が落ちる。
 誰かはやく話せよ、と責任を押しつけ合うような気まずい空気だった。
 ハラオウン提督が仕方なさそうに咳払いして、口を開く。

「はじめました……あ」どうやらつられたらしい。

 はやてが吹き出した。口元を手で押さえ、顔を逸らして笑いをかみ殺している。しかし体が震えるのは隠せない。
 それを横目で見る提督は苦々しい表情だが、頬が少し赤かった。

「失礼しました。改めて……、はじめまして、この船の艦長を務めるクロノ・ハラオウンです」彼は表情を真面目なものに戻して言う。「今回の件、到着が遅れ、管理外世界の民間人である高町さんの手を煩わせ、また危険に晒してしまったこと、真に申し訳ありませんでした。時空管理局を代表して、お詫び申し上げます」彼は深く頭を下げた。
「あ、いえ、その……、私の方こそ自分の都合で動いて、それでジュエルシードを……」
「ええ」彼は頷く。「そのことについて、いくつかお伺いしたいことがあったのですが、大体のことはスクライア先生からお伺いしました。ですので、後のことは管理局にお任せください。インテリジェントデバイス……、レイジングハートもきちんとお手元に戻るよう尽力します」
「あの、でもっ」なのはは声を上げる。
「なにか?」
「その、私にもなにかお手伝いできることとか」
「なのはちゃん」遮ったのははやてだ。驚くほど真摯な瞳でこちらを見て、彼女は首を振る。

 海鳴を去ったはやてとは、すずかを介してのやり取りが続いていた。とはいっても、手紙での連絡が年に数度つくかつかないかといった程度のもので、彼女がどのように過ごしているのかを想像するのは困難を極めた。唯一確実なのは、世界を飛び回っているということだったが、まさか異世界を含めてのことだとは思い及ぼうはずもない。ましてやこのような形での再開など、どれほど思考を巡らせたところで片鱗すらも感じ取ることはかなわないだろう。
 なのははなんとか食らい付こうとしたものの、数年ぶりに再開した友人の強い瞳と、若い提督の弁舌には勝つことができなかった。ジュエルシードを全て奪われた引け目があったし、なによりデバイスがないのが大きなマイナスだという自覚があったからだ。
 こうして、高町なのはは日常に戻った。







 二人はXV級艦船クラウディアの静かな食堂で、机を挟んで向かい合っていた。二人とも、自分の皿にはパスタが盛られている。ユーノのものは卵の黄、はやてのものはトマトの赤が目立っていた。
 一日中働いた後の、遅い食事である。
 ユーノはすっかり疲れきってフォークを手に取るのも億劫だったが、忙しい時こそ食事はしっかり取るべしと注意され、食堂に足を運んだ。というより、その忠告の主であるはやてに引きずられるようにして食堂に到着したのだ。
 ユーノ以上の激務をこなしたはずのはやては、しかし、まだまだ元気だった。表情に疲れの色が混ざることはない。これが積み重ねの違いか、とユーノは感心した。

「ああ、それじゃあミッドチルダの方は、とりあえず一段落ついたんですね」

 帰るまでが遠足、というわけではないが、暴れ回っている人間を逮捕すれば事件が解決するかというと、そうではない。広まった混乱を収拾し、事件の背景の調査し、第二陣を警戒し、余罪を追及し……、と数え立てればきりがないほどの仕事が残っている。犯人逮捕後からの方が遙かに忙しい役職も少なくない。

「まさにとりあえずって感じやけど、一応はなぁ」
「八神さんもミッドで? あ、いえ」ユーノは両手を開き、それを相手に向ける。武器を持っていないというアピールではない。「配置とか、民間人に話せないことだったなら、いまの質問はなかったことに」
「そんなことあらへんよ」はやては微笑む。「あの時は、そう……、クラナガンには降りんかったけど、事件解決のために動いてたんは同じ。補佐官はいまも向こうに貸し出し中。んー、やっぱ次元世界は広い分、アホなことする連中が多いわアホの度合いが凄まじいわで大変や」

 それは彼も同意するところだった。といっても、経験に基づいての感覚的なものではなく、数字を考えた末の同意である。

「ところで、今回の事件ですけど」
「うん? ミッドの大規模テロ? それともジュエルシード?」
「ジュエルシードです。執務官の目から見て、あの子、フェイト・テスタロッサの受ける処罰はどの程度のものになると思いますか?」
「ありゃ、自分の処遇よりもそっち?」
「僕の?」ユーノは首を傾げてみせる。

 はやては真剣な目でユーノを見つめた。ユーノはそれに微笑み返す。

「フェイト・テスタロッサにデバイスを持って行かれたとき……。あのとき、なのはちゃんがあの子と会ったのは、約束があったからやと聞いとります。その約束を守ったのはスクライア先生の説得があったから、とも」
 間違いないか、と視線で問うはやてに、ユーノは頷いた。
「説得というか、約束に応じた場合と応じなかった場合で、その後の回収にどのような影響が出るのかを整理しただけですけど」
「それや」はやてはテーブルの上に身を乗り出すようにして尋ねた。「なんで、回収を続ける前提で話をしたん? スクライア先生ぐらい頭良いなら、あの時点で回収から手を引くのが、ジュエルシードの数や安全の面から言って一番効率ええのはわかってたはずやで」

 ユーノは目を瞑り、
 数度の呼吸の後に開く。

「……そのこと、なのはには?」
 はやては首を振る。「この場での会話は誰の耳にも届かんと思ってくれて結構です。公式の場では、思いつかなかった、で通すこともできるでしょう」
「いや、それは別にいいんですが」ユーノは椅子の背もたれに体重を預ける。「そうですね、確かに、なのは自身に降りかかる危険については一種の賭けではありましたが……、結局は、彼女のやりたいことを手伝いたかっただけですよ。まずその感情があって、次に諸々の打算が追いついてきた、つまり、あの子だけではなくなのはもジュエルシードを回収すれば、海鳴市が危険に晒される期間もそれだけ短くなる、とか考えたんですね、きっと」

 はやては腕を組み、しばらく黙って天井を見上げた。
 やがて、そのままの姿勢で呟く。

「相手方、つまりあの子にジュエルシードが渡っても、第97管理外世界は安全やと踏んだ、と?」
「ええ、そういう考えもありました」ユーノはあごを引くように頷く。「ジュエルシードが第97管理外世界に散らばったのは、そこが輸送船の航路上にあった管理外世界である、という点を以て選ばれたのだと感じました。あなたなら誤解しないと思うので、このような言い方をしますが……、僕が輸送船を狙うとしても、あの世界ないし近い管理外世界に散らばるようにしたと思います。ですから、回収が早ければ早いほど、あの世界にとっては安全だった。あの世界でジュエルシードを暴走させるために撒き散らしたわけでは、ないでしょうからね。そうして回収を急ぎ、結果として密猟者がジュエルシードを多く手に入れ、それによってどこか別の世界が危機に晒され、あるいは崩壊したとしても……、第97管理外世界の、あの星の、なのはの家族や友人が住む町が少しでも安全になるならばそれでいい、と僕は考えました」
「んー、管理外世界から一刻も早く、の件は支持できるとして、その他の部分はなあ」
「でしょうね」
「そんでも、密猟しとる子の名前や事情、それに大体の能力までもが判明してるんは大きい……、とはいえ、それも結果論やし……、うーん……」
「いえ、別に擁護してほしいわけではないのですが」
「あー、うん、そのつもりはないんやけど。でも、執務官としてではなくあの町の出身者としては、お礼言いたいぐらい。……もちろん、この場はオフレコやで?」
「理解しています。そのつもりで話しました」
「せやったら、ここからもそのつもりで話してほしいんやけど」はやては声色を変え、にんまり笑った。「なのはちゃん、どうなん?」
「……そうですね、魔法の才能には凄いものがありますよ。幼い頃から魔法に触れていたなら、きっと素晴らしいエースにもなれたんじゃないでしょうか」
「うわ、わかっとるのにそんな返事」大げさに落胆してみせるはやて。「スクライアせんせーはー、なのはちゃんのー、どこがよかったんですかー?」
「うーん……、結構しつこいですね」ユーノは苦笑する。
「あ、ごめんな。ほんまに嫌やった? 職業柄、どうにも」
「いえ、いまのは褒め言葉です」
「ああ、なるほど」からかわれたと気がついて、はやては笑顔になる。「たしかに捜査官の間でも美辞麗句に近い扱いやけど、学者先生の間でも?」
「学者というか、研究を生業とする人たちの間では割と一般的ですよ。しつこいとか、あきらめが悪いとか。うん、そういうところも、手を貸してあげたくなる理由かもしれませんね」
「なのはちゃん、あきらめ悪いん?」
「というより、やりたいことに夢中になっていた、というのに近いのかなあ……。燻っていたところに火がついたというか、とりあえず夢中になれるものを見つけたというか」独り言のように呟いていたことに気がついて、ユーノは咳払いした。「まあ、なにより命の恩人ですからね」
「命の恩人かー……、それは大きいかもなあ」

 彼女の声には、じわりと滲むような暖かさがあった。もしかしたら、誰かに命を救われて、その人のことを好いた経験があるのかもしれない。だが、触れるべきではない気配も同時に纏っていたので、ユーノは曖昧に笑むにとどまった。

「あ、それじゃあ、もしかしてジュエルシードの探索に協力してくれとるんは、なのはちゃんがこの事件と完全に関係をなくさんようにするため?」

 なのはが日常に戻ってから、今日で一週間が経った。その間、ユーノはクラウディアの捜索チームに加わって力を貸していた。その甲斐あってか、既に四つの確保に成功している。しかし、例の少女も管理局の手を逃れて収集を続けているのだ。クラウディアからの観測の中に少女の姿が確認され、はやてとユーノが現場に急行したものの、残念ながら、到着前にジュエルシードごと逃げられてしまったということが二度ほどあった。

「ええ、まあ、一応。なのははあの子と話をしたがっていましたから。ですから、フェイト・テスタロッサにはどの程度の処罰が与えられるのか……、身柄を確保した後に、なのはがあの子と話をする機会が得られるのか、それをききたいんですが」
「そういえば……」はやては両手をパチンと打ち合わせた。「なんか盛大に脱線してしまったわ。うわ、パスタ冷えとる」

 驚くはやてとは対照的に、ユーノは既に食べ終えていた。
 はやてはションボリしながらパスタをフォークで絡め取る。

「話をする機会となると、本局に送る前にどうにかできんこともない、かな。最初に身柄を確保できるんはあの子一人だけやろうし、その後に、背後におる輸送船を攻撃した犯人についての情報を引き出すまでがチャンスやね」
「そうですか」
「全員逮捕したら、その後は会うの難しいんやないかなあ。もしかすると裁判の証人として呼び寄せることもできるかもやけど、まだ何もわかってない今の段階ではなんとも」
「なるほど。わかりました。このこと、なのはに話しても?」
「ふぁ」はやては口を押さえてあくびして、目元を手でこすった。「んー、なんか半分寝ながら独り言しとった気もするけどなに喋ったか覚えとらんし、誰かに聞かれてたら恥ずかしーなー。あ、スクライア先生、こんばんわ。今から夕食ですか?」
「まだ寝ぼけてますね。僕たちは一緒に食堂に来たんですよ。今日は忙しかったから、早く休んだ方がいいでしょう」







 レイジングハートを失ってから四分の一ヶ月が過ぎた。
 その間、なのはは休む暇もなく分厚いテキストや参考図書と向き合っていた。年末年始の冬休みを自主的に延長した結果である。最初の内こそなかなか集中できずにため息をついてばかりだったが、近づく期末試験と、授業についていけない焦燥感とに背を押され、すぐに誰よりも真面目な学生になった。
 この日も、一日の大半を暖房の効いた図書館で過ごしてから、なのはは帰路についた。
 自分で定めたノルマを消化できたのは、友人たちの助力によるところが大きい。星の見えない曇天の下、冷たい風に首筋を撫でられコートの襟元を正す自分はキリギリスみたいだ、と彼女は思う。
 ふと手首を返して時計を見ると、まだ今日は四分の一以上残っている。頭の中で天秤が揺れる。少しだけ迷ってから、なのはは進路を変えた。向かう先は商店街だ。そこには、喫茶翠屋がある。気分転換もかねて、仕事を手伝っていこう。両親は娘の学業に気を遣ってくれるが、だからこそ、という思いもあった。
 街頭や店の照明で、商店街はまだ明るかった。しかし、目立つところから視線を外せば、そこにはうずくまるような暗闇がある。バリアジャケットを着る際、人に見られないようにそのような暗がりを利用したものだった。そのときは何とも思わなかったが、しかし、今は近寄りたいとは思わない。
 きっと、正常ではなかったのだ。
 いま振り返れば、空を駆けた体験も夢のように現実感がない。非常識な、現実的ではない状況に対応するためのモードが、最近になってようやく正常なそれに戻ったのだろう。評価の基準も切り替わり、すっかり以前の通りの生活に馴染んでしまった。昨日、ジュエルシードの探索に協力しているユーノから連絡があったが、それも冷静に受け止めることができた。
 だというのに、
 せっかく正常値に戻ったメータを、再び針が振り切れるまで刺激する人物がそこにいた。

「あ……」その姿を視認した途端、なのはは思わず立ち止まる。

 相手は、なのはが気づく前からこちらを見ていた。なぜか笑顔で手を振る姿は、偶然といった風ではない。先回りしていたのだろうか。
 それは、フェイトの使い魔だろう、と管理局が当たりをつけた女性だった。
 なのはが驚いて立ち止まっていると、その女性は一度肩をすくめてから近づいて来る。歩調は速くも遅くもない。休日に町中を歩くかのような、極めて尋常な様子である。そして、ついになのはの正面で立ち止まった。

「いきなりで悪いけどさ、提案があって来たんだ」やけにフランクな口調で彼女は言う。「機会はこれが最初で最後。判断はこの場ですぐにしておくれ」いいかい、と問う視線はあまりにも友好的だった。

 なのはは頷くような、首を傾げるような、曖昧な仕草を返す。

「フェイト……、あの子の母親が、あんたと話をしたいって言ってるんだ。それであたしは伝言兼送迎役を仰せつかったってわけだけど、ここで頷くならいまから連れて行く、首を振るならあたしは晴れてお役ご免になる」
「行く、行きます!」なのはは即答した。「あ、でも、ちょっとだけ待ってください」
「管理局に連絡でもするのかい? もしそうなら、いまの話はなかったことになるよ」
「ち、違います、お土産にケーキを」
「ケーキ?」彼女は目を丸くした。「……意外と大物なんだね。あんたならフェイトを止めてあげられるかもしれない」



 時の庭園というらしい。
 石で作られた硬い床を歩いたかと思うと、今度はリノリウムのような床を歩いている。凝った装飾の柱を見たかと思うと、剥き出しの金属の柱もある。重たそうな木製の扉を開けば、次は自動で開くスライド式のドアをくぐりもする。そこは、西洋の城を思わせる古めかしい印象と、無機質で酷く未来的な印象とを同時に受ける、不思議な空間だった。だから時の庭園という名なのかもしれない、となのはは閃いた。
 前を歩く案内人の背中を見る。ここに来る前は隠されていた豊かな尻尾が、歩みに合わせて左右に揺れている。催眠術の振り子みたいなそれを眺めていると、不意に彼女の名前を知らないことに気がついた。

「あの……」なのはは声をかける。
「なんだい?」前を行く彼女は、半身だけ振り返った。
「お名前を教えてもらってもいいですか?」
「あれ、言ってなかったっけ? プレシアだよ」
「プレシアさん?」
「そう、プレシア・テスタロッサ」
「え?」なのははびっくりした。「それじゃあ、フェイトちゃんのお姉さん……なんですか?」
「は? 誰がだい?」今度は相手が驚く。変なものを見るような目でこちらを見た。

 二人ともが、どこか会話が噛み合っていないと気がついたとき、足音が通路の先から近づいてきた。
 そちらを見ると、一人の女性がいた。なのははその姿に目を見開く。その輝かんばかりの容貌と圧倒的な存在感から、彼女が自分を呼び出した人物なのだと確信できた。

「アルフ。高町さんが訊いたのは、あなたの名前」彼女はくすくすと上品に笑う。「はじめまして。フェイトの母、プレシアは私です。突然呼び出してしまって、ごめんなさい」
「は、はじめまして、高町です」なのはは完全に気圧されていた。「えっと、お若いですね」
「ありがとう」プレシアは微笑む。それがまた美しい。「あなたの国の時間では、いまは夜でしたね。もう夕食は済ませましたか?」
「いえ、まだです」
「でしたら、ちょうどいい。こちらへどうぞ」

 返事を待たずに、プレシアは元来た道を戻っていく。なのははそれについて行こうと足を進めるが、アルフがついてこないことに気がついて振り返る。目が合うとアルフが手をひらひらと振るので、なのはは少しだけ迷ってから、再びプレシアを追いかけた。
 しばらく無言で歩いていると、ふいとプレシアが言った。

「忘れていた。まずはこれを返さないと」彼女は立ち止まり振り返る。こちらに差し出された白い手の平には、真っ赤な球体が一粒。「予め断っておきますが、格納されていたジュエルシードは全て抜き出しています。それと、デバイスの中のデータは全て参照させて貰いました。つまり、あなたがそれを手に入れてからの生活の大部分を、私は知っています。ジュエルシードに関しては申し開きはありませんが、データを参照したことについては、あなたがどのような質問をするかを予測し、解答を準備するために必要な手続きであったと理解してほしい、そう考えています」

 なのははとりあえず頷いて、人差し指と親指でレイジングハートをつまみ上げた。久方ぶりに触れる相棒の感触は、手によく馴染み、まるで時間の経過を感じさせない。思わず口に含みたくなるまん丸具合も相変わらずだった。しかし、愛らしい見た目と反して、このレイジングハートは剣士の剣、射手の弓矢に等しい。逡巡なく持ち主に返すというのは、敵意の不在や信頼を示すパフォーマンスなのだろうか。ああ、嫌なことを考えている。

「時の庭園にいる限り」プレシアがなのはに微笑みかける。「誰が何人いようと、私には敵いませんからね」それだけ言って、彼女は再び歩き出した。



 幅の広いテーブルを囲んで、ふたりは向かい合って座った。プレシアに正面からじっと見つめられると、なのはは緊張してしまう。そのせいで料理の味がよくわからなかった。スプーンやフォーク、ナイフといったカトラリーのみを用いての食事にも慣れていなかったので、そちらにに気を割かなければならなかったせいでもある。
 最初、なのはは席に着いたとき、フェイトはいないのかと質問した。既に食事を終え部屋で休んでいる、というのがプレシアの返事だった。それ以降はどちらも、言葉を発する目的では口を開かなかった。
 沈黙は、食事の間中ずっと続いた。
 自然が発する音も、環境が作り出す音も存在しなかった。ときおり響くのは全てなのはの手元から生まれた音で、食器がぶつかるその音が立つ度に、彼女は恐る恐る正面を見る。けれども、プレシアはこれといった反応を見せず、上品な手つきで食事を続けていた。
 全て食べ終えると、アルフがデザートを持ってくる。なのはが渡した翠屋のケーキだった。それを見たプレシアが、ほんの少しだけ目を大きくした。

「どうかしましたか?」なのはは思わず尋ねる。
「ようやくなにか質問してくれましたね。ずっと待っていたのですけれど」プレシアは答えた。「以前、あの子が買ってきたものと同じだったので」
「フェイトちゃんが?」
「アルフが見つけた店だと聞いたけれど」プレシアはアルフに視線を向ける。口調はなのはに対するものとは違っていた。
「でも、お土産にしようって言ったのはあの子だよ」

 それは残念なニアミスだったのか、それとも避けられて幸運だったのか。

「あの……」アルフが去ると、なのはは切り出した。「プレシアさんは、フェイトちゃんがジュエルシードを集めていることを知っていますよね?」
「あなたのデバイスからジュエルシードを取り出した、と言いました」プレシアは頷く。「そうです。あなたの集めたジュエルシードを横取りしたことも含めて、全て私の指示です。確認のための質問や文脈は必要ありませんよ」
「……だったら、お願いします、フェイトちゃんにそういうことをさせるのは止めてあげてください!」なのはは叫ぶように言う。
「わかりました。止めさせましょう。他に何かありますか?」
「え?」なのはは驚く。
「あなたの要求を受け入れる、と言いました。他に何か、質問でも要求でも、ありますか?」

 プレシアの素直さは不気味なほどだった。なぜこうもあっさりとこちらの言葉を容れたのか、なのはにはわからない。けれども、わからないものを怖がるのが人間である。同時に、怖いものを知りたがるのも人間だった。その点で、なのはは正常な人間であると言えた。

「どうしてそんなにあっさりと……?」
「現在私は、十六のジュエルシードを確保しています。対する管理局は四つ。残すところ一つですが、これはじきに管理局が回収するでしょう。ジュエルシードは全二十一個ですから、もうあの子を動かす必要はありませんね」
「十六個のジュエルシードで、何をするつもりなんですか?」
「それには答えません。答えてもあなたには理解できないので、無駄になります。これ以降も魔法に触れるつもりであるならば、あなたは理論を勉強するといいでしょう。けれども気をつけなさい、あなたは魔法の才能があるようですが、それは背が高いのと何も差はないのです。あなたが人間でいたいのならば、自分が何をしたいのかを行動の指針にするといい。資質に従って生きるのでは、獣と同じです。話を戻します。ジュエルシードで何をするかは説明しませんが、結果として、私は遙か過去へと戻るのです」
「か、過去へ?」

 プレシアは返事をしなかった。既に次の質問ないし要求を待っている。凄まじい切り替えの速さ。それに、自身の発言に欠片の疑いも持っていないのだろう。その揺らぎのない自信を前に、なのはは背筋が震えそうになる。多くの場合において恐ろしいものを恐ろしいと感じる理由を説明できないように、ただただ息の詰まりそうな圧迫感を感じるだけだった。

「プレシアさんは、過去に戻って何を?」
「逆に訊きますが、高町さんは過去の一部をなかったことにしたいと思ったことはありませんか?」

 なのはは咄嗟には答えられなかった。

「もちろん、答えたくない質問に答える必要はありません。私が過去に戻るのは、過去を修正するためではありません。既に失われた技術を求めてのことです」
「失われた技術?」
「有り体にいって、死者の蘇生を可能とする技術」

 誰を、と尋ねることはできなかった。大切な誰かに決まっているからだ。触れていいことであるとは思えなかった。触れるのが恐ろしくもあった。

「過去に戻るって……」その場しのぎでそこまで口にしてから、なのはは続く言葉を思いついた。「フェイトちゃんも、ですか?」

 ここまでほとんど即答を繰り返してきたプレシアは、この質問に黙り込んだ。ただまっすぐにこちらを向いた瞳が、綺麗な数式を眺めるときのように澄んだ色を帯びている。面接を受けていると錯覚しそうな状況にあって、しかし、なのはは不思議と嫌な気分にはならなかった。既に質問は済ませていたから、彼女は黙って返答を待つ。
 やがて、プレシアが口を開いた。

「あなたは、あの子のことが気に入らなかった。だから、幾度となく挑んだのです」彼女は断言する。
「違います!」なのはの口が反射的に答えていた。
「違いません」プレシアが即座に言い返す。「関わりを持ったのに、まるであなたに無関心だったでしょう? 私でも良い気分にはならない。けれども、高町さんの反応は過敏だったようにも思えます。幼い頃、誰にも構ってもらえなかった時期がありましたね?」

 なのはは黙り込む。気がつけば、逃げるように椅子の背もたれに背を寄せていた。しかし、視線だけはプレシアの目に縛られて逃げられない。
 意識してゆっくりと呼吸し、心を落ち着ける。

「最初は、誰にも迷惑をかけたくない、という意志が根底にあったはずですが……、成長するに従って欲が出た? それとも、いい子でい続けたために失ったものを、数えてしまったか。どうであれ、気に入らないから自分の方に振り向かせようとしたのです」プレシアは幽かな笑みを浮かべたまま話す。「責めているわけではありませんよ。いいですか? それは強さです。欲する所に従って己を貫く意志。実際、あの子はあなたに興味を持ったようでした。それは決して良い感情ではないようでしたが、問題は、どのように見えるかではなく、視界に入るか入らないか。見え方は、後でいくらでも変えることができます。質問に答えます。あの子は連れて行きません。もう必要ないので、あなたに差し上げましょう」

 いつの間にかわずかに開かれていた扉の向こうで、何かが床に倒れる音がした。







 プレシアは、静かになった食堂に一人でいた。先ほどまで向かい合って座っていた高町なのはは、気を失ったフェイトを背負って帰った。

「あなたも要らないというのなら、予定通りどこか適当な世界に捨てるだけです」

 最初こそ渋っていた彼女だったが、その言葉を聞いて素直に従ってくれたのはありがたい。元からそのために呼び出したのだから、成功だったと言える。
 やるべき事の大部分は終えた。
 あとは、そう……、時間の経過を待つだけだ。恐らく、予想通りの展開になるだろう。そうなれば安心して旅立てる。
 食器を片付けようと立ち上がったところで、部屋の扉が開く。入室してきたのはアルフだった。時の庭園には二人しかいないのだから当然である。

「アルフはどうする?」プレシアは彼女の方を見ずに尋ねた。

 アルフが強い視線をプレシアに向けた。ほとんど睨み付けているようなものだった。それをお前が訊くのか、と瞳が告げていた。
 食器をカートに乗せる音だけが、やけに大きく響く。
 テーブルの上が綺麗に片付く頃になって、アルフが沈黙を破った。

「ずっとそばにいること」彼女は言った。「フェイトとは、そういう契約だ」
「私なら、契約を解除しても生きられるようにしてあげることもできるけど」

 アルフは答えなかった。無言の拒否を、プレシアは背中で聞いた。

「そう。好んで貧乏くじを引くなんて、律儀ね」

 アルフが部屋を出る音を、プレシアは背中で聞いていた。







 なのはが時の庭園に赴き、緊張しながら夕食を取っているとき。
 クラウディア組は二十一個目であると思われるジュエルシードの回収に成功していた。
 今回のシリアルZだけが海の底に沈んでおり、手間も時間もかなり多くのものを費やさなければならなかった。だからこそ、探査にも回収にも多くの力をつぎ込むことのできる管理局が押さえたのだとも分析できる。回収という点について見れば、早い者勝ちの原則に従い、管理局の勝利は疑うべくもなかった。
 しかし、いくら個々の勝利を重ねたところで、最初の出遅れが大きい。管理局が五個確保しているのに対して、密猟者は残りの全て、十六のジュエルシードを確保していると思われる。それだけあれば大規模な次元震の一つや二つ、起こすに易い。クラナガン全市民を人質にしてのテロルと比べても劣ることのない、極めて危険と判断される状況である。しかも、ジュエルシードの回収が終わってしまった以上、回収の実行者であるフェイト・テスタロッサはもう姿を見せないだろう。それは、彼女を使っていた母親とやらの情報も、得られる機会が巡って来ないということに等しい。
 そもそも、母親というのがまず怪しかった。というのも、テスタロッサという姓から辿って行き着いた魔導師は、その誰もが、以前に次元航行艦が攻撃された際に記録されたものとは一致しない魔力波動を持っていることが確認されているのだ。これによって、行方不明という状況と高い魔導師としての実力から捜査線上に浮かび上がったプレシア・テスタロッサの線も薄くなった。もちろん、協力者がいるかもしれないし、それ以前にテスタロッサという名前が偽名である可能性もある。だが、そのどちらであったとしても、あるいは更に別の可能性があったとしても、今後この事件の犯人にたどり着くことは絶望的なまでに困難であると言わざるをえなかった。次に表に出てくることがあるなら、ジュエルシードによる大規模な災害が起きるときだろう、とさえ思われた。
 以上のような話がされた会議に末席ながら参加していたユーノは、聞いた話をさっそくなのはに流そうと企てて、思念通話を試みた。

「……あれ?」

 反応がない。
 むむむ、と唸りもう一度チャレンジしてみるも、やはり結果は変わらない。そこにはやてがやって来た。

「あれ、どないしたん?」
「ああ、うん」はやてに言われて丁寧な口調を改めた彼は言う。「なのはに念話が届かなくて」
「なのはちゃんに?」数秒の沈黙。「あら、ほんまに」彼女は手元でなにか操作を行う。すると、ウインドウが空中に展開された。「携帯電話の方にも……」

 しかし、電源を切っているのか電波の届かないところにいるのか、つながることはなかった。
 はやては少し表情を硬くし、歩き出す。ユーノはそれについていく。

「まだ寝るような時間じゃないはずだけど」
「勉強漬けやって言っとったんやろ? 疲れてお昼寝……って時間でもないけど、食事の前に一眠りとか」そうは言うが、はやては早足だった。

 通路に硬い足音を刻みたどり着いたブリッジで、待機していたクルーたちに彼女を命じた。
 すぐさま始められる高町なのはのサーチ。
 結果、該当する反応なし。
 クラウディアの目に映らないなら、なにで調べても出てこないだろう。

「やられた……」はやては小さく呟き目を細める。
「なのはが狙われた?」
「かもしれへん」短く答えて、彼女は休んでいる艦長に通信をつなげた。

 酷くもどかしい三秒が経ち、反応があった。モニタに映し出された艦長は既にバリアジャケットを着込んでいた。

「どうした?」彼は厳しい表情できく。
「なのはちゃんがおらん」
「いつからだ?」
「昨日の夜、念話で話したから、少なくともそれ以降に」ユーノが横から答える。
「いまからなのはちゃんの友人に連絡取ってみます」
「わかった。任せる」

 そのとき、クロノの言葉を塗りつぶすような声が上がった。

「あ、いま反応出ました! レイジングハートの反応もあります。通信つなげ……あれ、これは」弾指の間の後、クルーは叫ぶように言った。「フェイト・テスタロッサの反応も! 至近距離です!」
「なんやて!」
「つながりました、開きます」

 ブリッジにいる全員に見えるよう、最も大きな前面のモニタに表示される現場の様子。
 どこかのマンションだろうか、見慣れない室内で、なのはがフェイトを背負って立っていた。







 事情を話したところ、散々怒られてしまったなのはである。が、上げた戦果は上々、しかも管理局員でも管理世界住人でもないため、お咎めはほとんどなしで済んだ。
 彼女が上げた戦果。
 すなわち、連れ帰ったフェイト・テスタロッサである。
 絶望的な状況に垂らされた蜘蛛の糸。はやてがそう喩えた少女は、しかし、一切の質問に口を開かず沈黙を貫いた。他に情報を得られそうなもの、たとえば使い魔やデバイスなどは持たず、身一つで確保された彼女であったから、捜査に進展がもたらされることはない。また、なのはが出会ったプレシア・テスタロッサも不気味な沈黙を守っていた。こちらに関しては、既に地下に潜ってしまった可能性も見過ごせない。そうなれば、フェイトからいくら情報を引き出せたところで意味はない。しかし、管理局の面々は、プレシアがじきに動き出す可能性も少なくないと見積もっているようだった。これは、なのはが持ち帰った情報による。プレシアが過去を目指しているという話である。
 ジュエルシードは十年近く研究され続けてきたロストロギアであるが、時間の遡行を示唆する研究結果は出ていない。しかし、その研究から得られたデータが外部に流出して広まった可能性は、スカリエッティが管理局の中枢にまでその手を伸ばしていたことからも、無視はできない。そして、優れた技術者であるプレシア・テスタロッサがそのデータを手に入れたとすれば、もしかすると彼女には、他者には読み取れないなにかを見出すことができたのかもしれない。また、願望と現実とを錯誤して認識している場合が、このような犯罪者には少なくない。
 もしかすると。かもしれない。
 仮定に仮定を重ねて考えるしかないが、だからこそ、最悪に備えるというスタンスを徹底するべき事態である。はやてたちは、今回の事件の危険性を大きく見て、既に応援を要請しているという。それにより、近い内に組織の強みを生かした一大捜査網が敷かれることになっていた。
 だが、そんなことはなのはにはあまり関係がない。レイジングハートが手元に戻ったが、それで専門家たちの仕事を手伝えるとは思えなかった。それでも彼女がクラウディアに入り浸っているのは、偏にフェイトに会うためである。
 それも今日で六日目になる。
 この日も、なのはが携えた土産の紙箱には翠屋のケーキが詰まっていた。クラウディアの乗組員の中に、翠屋の支店がミッドチルダにないことを残念がる者が出るほどの人気である。地球出身の執務官であり、第97管理外世界への渡航が容易く行えるはやてなどは、皆に羨まれていた。
 もちろん、それは嬉しい。
 嬉しいが、なのはの本命は彼ら彼女らではない。

「時間は一時間。部屋の中の映像や音声は別室にてモニターさせてもらいます。また、それらは記録させてもらいます」仕事モードのはやてが言う。
「はい」なのはも真面目な顔で答える。
「ほんなら、なにかあったらすぐに呼んでな」

 もうすっかり慣れっこな確認を行い、なのははその部屋に足を踏み入れた。
 そこは広かった。
 純粋な面積については、なのはの自室の何倍もある。だというのに、医療用と思しき大きなベッド以外はなにもない。それがまた、伽藍とした広さを印象づけるのに一役買っていた。
 フェイトはベッドの上に座っていた。上下共に白い服。ベッドの脇には同色の靴が並んでいる。ベッドのサイズとの対比で、その体は余計に小さく見える。ぼんやりと焦点の合わない瞳が、膝のあたりを見ているようだった。

「こんにちは」なのはは挨拶をしながら近寄る。返事がないことは先刻承知だ。しかし、一昨日ごろから、挨拶をすればわずかに視線を向けてくれるようにはなっていた。

 意識してゆっくり歩き、ベッドの隣に立つ。フェイトはもうこちらから視線を外している。なのはは少し屈んで、少女に目の高さを合わせた。

「ここ、いいかな?」ベッドの縁を指し、少し首を傾げて訊く。

 数秒待ってから、彼女はそこに腰を下ろした。そして、手にしていたケーキの箱と紙皿を自分の隣に置く。
 この部屋には机も椅子も存在しない。皿が紙製でフォークがプラスチック製であるのと同じ理由だった。しかし、最近のフェイトならば万が一もないのではないか、と思えた。一週間にも満たない日数で、それも一日に一時間の面会であるが、それだけでも随分と変化してきたように見えるからだ。
 三日目までは、自分のことについてただひたすら話し続けた。長い自己紹介のつもりだった。幼い頃の出来事からつい最近の魔法との出会いまで、地球での生活でどのようなことがあり、どのようなことを考えたのかを語り続けた。フェイトはほとんど反応しなかった。
 四日目と五日目は、魔法と出会ってからのことを喋った。ユーノとの出会いからフェイトとの衝突、そしてプレシアとの会話。特にプレシアとの会話は今でも消化しきれておらず、暗中を模索するかのように語ることとなった。
 そして、それは今日も同じだ。

 ―――あなたは、あの子のことが気に入らなかった。だから、幾度となく挑んだのです。

 語る最中も、プレシアの言葉が頭から離れない。
 自分でもよくわからなかった気持ちに明確なラベルを貼り付けられ、それが正しいか否かに関わらず、中身がラベルに引きずられているようにも思えるし、あるいは何よりも正確に事実を言い当てているようにも思える。
 自分の気持ちがよくわからないという経験は初めてだった。
 否。そうではない。彼女は思い直す。
 正しくは、よくわからない気持ちをここまで深く追いかけ続けるという経験が初めてだった。
 いままで逃げ続けてきたものに、ついに追いつかれた。
 曖昧なままにして置いてきたものは、フェイトに挑んだ動機だけではない。幼い日より定まらぬ将来の夢、一度関わりながらあっさりと諦めつつあったジュエルシード事件。そんな自分だから、他者に一切の関心を払わなかったフェイトの瞳が―――

「―――羨ましかった?」意図せぬ言葉がこぼれ落ちた。口にしてから、そんな馬鹿なと思う。思う一方で、軸索を伸ばす神経細胞のように思考は進む。

 羨ましかったから挑んだ?
 それはつまり嫉妬。嫉妬したから、その強さを突き崩そうとした。自分と同じ所に引きずり下ろそうとした。すなわちこちらに興味を持たせようとした。
 吐き気を催しそうな醜怪な感情。
 目眩に似た不快感を覚えて、なのはは語りかける言葉を止める。まぶたを閉じ、数秒かけて色々なものを押さえ込んだ。
 目を開くと、不思議そうにこちらを見るフェイトと目が合った。しかし、フェイトはすぐに目をそらせてしまう。

「そうだ……、ケーキ食べよっか」なのはは笑顔を作り上げて言う。「今日は私も作るの手伝わせてもらったんだよ。ほら、この前言った失敗を反省して、ちゃんとできてる。それに、今日はフェイトちゃんのためのレシピを作ってもらったから、お店には置いてない特別製」

 紙皿に置かれたのは、白い山を模して作られた栗のケーキ。店舗に並んでいるものと見た目は変わらないが、あれよりもお酒の風味が弱い。フェイトのために作られたものではあったが、実のところ、なのはも店の商品よりこちらの方が好みだった。舌が幼いのである。

「えっと、他にもいくつかあるんだけど」そこまで言って、なのはは黙った。

 フェイトが声もなく涙を流していたからだ。



 しばらく静かに泣き続けたフェイトは、やがて口を開いた。
 ぽつりぽつりと語られるプレシアとの思い出。新しい魔法を覚えて褒めてもらったこと。研究中に話しかけて怒られたこと。一緒のベッドで眠ったこと。書斎の書物を読む許可をもらったこと。数え上げればきりがないほどの、夜空の星々のような記憶たち。
 それはなのはに向けて語られているというよりも、先ほどなのはがしていたような自問自答、あるいは思い出の復習に近い。事実、フェイトはなのはの方を見てはいない。焦点の合わぬ目は、自身の語る過去を見つめているようだった。いままで黙り続けた分を取り戻すかのように、少女はしゃべり続けた。
 なのはにできることは、すぐ傍で相づちを打つことだけ。
 そんな彼女に、不意に話しかける声があった。

〈なのはちゃん〉声の主ははやてだった。なのはだけに絞られた念話である。〈時の庭園の場所、聞き出せそう?〉

 弱みにつけ込むようで嫌だった。だが、はやての声は苦しげで、それが苦渋の選択であることが窺われた。

〈過去にしろ虚数空間にしろ、そこに飛び込む前にプレシアを押さえたい〉はやては強い声で続ける。〈そんな小さい子が家族と二度と会えんようになるなんて……、そんなこと、絶対にあったらあかん〉







 それから更に数日が経ち、フェイトとの会話が成立するようになったとき、ついに彼女は時の庭園の座標を口にした。なのはだけでなく、はやての説得も効いたらしい。はやてがなにを話したかは知らないが、小さな少女の母親を助けてあげたいという言葉に説得力を与えるものであったのは確かなことだ。
 フェイトが口にした座標には、果たして、未だに時の庭園が存在していた。どういうわけか、逃げることなく以前のままの場所にとどまり続けているのだ。
 これを受けて、クロノ提督は即座に武装局員を突入させる。しかし、彼らは踏み込んだ瞬間に魔法の雷に強かに撃たれ、誰一人例外なく床に倒れ伏すことになった。

 ―――時の庭園にいる限り、誰が何人いようと私には敵いませんからね。

 その光景を見て、なのははプレシアの言葉を思い出す。もちろん、事情聴取を受けた際にはやてたちに伝えていたが、それでも突入させたということは、プレシアの誇張だと判断されたのだろう。結果は、モニタに映し出された惨劇である。命を落とした者はいないが、命があればいいというものでもない。
 急ぎ回収を指示するクロノ。できうる限りの速さで答えようとするスタッフ。倒れた局員たちの代わりに出撃の準備を整えたはやて。
 だが、そこに割り込む者がいた。

「なに……?」

 驚きに声を上げたのは誰だったのか。
 クラウディアのクルーが武装局員を回収する前に、彼らが艦へと転送されて戻ってきたのだ。気絶したままの彼らは、クラウディアの床に綺麗に並べられるように順に転送されてくる。そして、突入した全ての魔導師が時の庭園から追い出され、彼らがつないでいた時の庭園内部の映像も途切れた。
 しかし、クラウディアにいる者たちは、すぐに同じ光景を見ることになった。
 外から回線を開くよう要求が入り、許可を出した艦長に従い通信が開始される。
 ブリッジ正面の一番大きな画面に映し出されるのは、十日ほど前になのはが会ったきり行方がわからなくなっていた、フェイトの母親である。

「プレシアさん!」なのはが一番に声を上げる。すると、クロノやはやてを始めとしたクラウディアのクルーたちは、ぎょっとしたようになのはを見た。

 画面の中では、プレシアが朝霧のように薄い笑みを浮かべている。

「お前は―――」艦長席に座ったクロノが、身を乗り出すようにして言う。「お前は、誰だ!」

 画面の中では、目の覚めるような金糸の髪と、血のように赤い紅玉の瞳が、微笑んでいる。
 それは、なのはが会ったときと何一つ変わらぬ姿のプレシア・テスタロッサだった。

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