プレシアなのはフェイト

02



 ユーノが言ったとおり、不本意ながらもなのはを巻き込んだ彼が、危険を理由に彼女を事態から遠ざけるのは、理に悖ることであった。それでも、ユーノが続けた説得を振り切るだけの意思を持ってなのはが事に当たっていたかというと、それもまた否だった。
 これまでは圧倒的な魔力量で格下の相手を叩く戦いであったのが、これからは明らかに格上である魔導師の少女との戦いになる。
 言葉を交わすことすらできず、あっという間に墜とされた記憶はまだ数日前のもの。
 あの戦いでなのはが死んでもおかしくなかった、とはユーノの言だ。それを告げた彼が気落ちしているように見えたのは、なのはを危険な目にあわせたことに、自責の念を感じていたからなのだろう。ならばこれからもなのはが杖を手に戦い続けることは、彼が自分を責め続けるということに同義である。幸か不幸か、それがわからないほどなのはは子供ではなかった。加えて、なのはが怪我をすれば家族や友人が悲しむとまで言われれば、レイジングハートを握る手が緩むのも仕方なかった。

「―――ちょっと、聞いてるの? なのは? なのは!」
「わっ!?」

 強く名を呼ばれ、なのははバネ仕掛けみたいに勢いよく体全体で跳ねた。背筋がまっすぐになる。

「えっと……、アリサちゃん?」

 声の主の名は、なのはの親友の名でもあった。そして、テーブルに上半身を乗り出したアリサを引きとめようと必死なのが、月村すずか。こちらもなのはの親友である。
 三人揃って長年の親友同士。今日もいつも通りに皆で昼食を取っていた。
 だんだんと、状況がわかってきた。
 つまり自分は、友人の話を聞かずに一人で考え込んでいたのだろう。なのははそう理解した。

「ごめんね、アリサちゃん」
「最近多いわよ?」アリサは肩を竦める。「昨日も、というか新学期が始まってからずっと似たようなことになってるし」

 そういえばそうだったかも、と思い出したなのはに今度はすずかが尋ねる。

「なのはちゃん、なにか悩みごと? 私たちで力になれるなら嬉しいけど」

 彼女たちはいつだって優しい。一見すると何事にも強引なアリサにしても、それは同じことだ。
 自分が傷つけば、家族だけでなく彼女らも悲しむのだ。今更になってなのはは気づく。彼女は自分の父が大怪我を負った時のことをよく覚えている。自分の性格の支柱ともいえる部分があの時期に形成されたのだということも知っている。だから、あの時の自分と同じ気持ちを大事な人たちが抱くことは、とても我慢できそうにない。

「また考え込むんだから」あからさまにため息をつくアリサ。「そんなに悩んでるのに話せないなら、やりたいようにやればいいじゃない。何をするかは感情で決めて、どうするかは頭で決める。なのはにはそういうやり方が向いてる気がするわ」
「でも……」

 そこまで自分を知っている彼女らだから、なのはは迷惑をかけたくなかった。

「なのはのことだから、悩む原因は自分のことじゃないんでしょ?」アリサはすずかに顔を向け、「どう思う?」
「うん……、やりたいことがあるけど、誰かに迷惑がかかるかもしれないから迷ってる、とかかな? なのはちゃん、優しいから」
「でしょうね。で、誰かっていうのにあたしたちも含まれてる、と」

 ぽかんとするなのはの前で、親友二人はあっという間に正解へと至りつつあった。

 驚き一色のなのはの表情に、アリサが問う。「いままで何度同じことがあったと思ってるのよ?」
「ねえ、なのはちゃん? 私たちが力になれないなら、それは仕方がないことだと思うけど……、それでも、なのはちゃんがしたいことの邪魔にだけはなりたくないよ」
「今さら遠慮されて喜ぶ仲でもないしね。あんたに何かあれば心配するだろうし、あたしたちの知らないところでそうなったら怒りもするだろうけど、あたしたちのせいであんたがしたいこともできなくなるなら、そっちの方がもっと嫌なんだから。……ねえ、すずか、このセリフを言うの何度目?」

 問われて、すずかは小さく首をかしげた。数え切れない、というニュアンス。二人の息はぴったりだった。

「ま、本当にどうにもならなくなったら言いなさいよ。できることなら、何でも力になってあげるから」
「……うん」なのはは自分の肩から力が抜けるのを感じた。「ありがとう。アリサちゃん、すずかちゃん」

 ああ、高町なのはは本当にいい友人に恵まれた。



 だから、
 そんな友人たちに心配をかけるわけにはいかなかった。



 意識が急速に浮上する。再び落ちかける心に、強い意志で圧力をかけて押し上げる。
 いまは頭痛がありがたい。痛いということは、現実に生きているということなのだから。
 自分は、またやられた。あの少女に。
 自分は、まだ負けてはいない。あの少女に。
 手には杖が、胸には心が、残っている。
 隣には、わがままに付き合ってくれると言った、魔法の先生がいる。

「ありがとう、ユーノ君。また助けてもらっちゃったね」

 体はアスファルトの上で横たわっていた。ユーノの魔法で受け止められたのだろう。硬い地面と衝突していれば、擦り傷しかないこの状況を説明できない。
 なのはは立ち上がった。
 空を見上げる。まだ黒衣の少女が青い空を背景に浮かんでいた。
 気絶は一瞬のものだったらしい。

「大丈夫?」ユーノが尋ねる。そして、彼はすぐに自分の言葉を否定するように首を振った。「いや、違う。まだいける?」
「もちろん」なのはは答えた。「まだいけるよ!」
「そう。なら、極力近寄らず」
「得意な距離を維持する、だね」

 視線を交わし合ってから、なのはは再び地を蹴った。一直線に舞い上がる。
 単純な戦闘技術ではなのが劣る。しかし、果たしてこの粘り強さに相手が耐え切れるかどうか。
 少女がこの場でなのはを退けたとしても、次のジュエルシードを、更にその次のジュエルシードを間に挟み、二人は対峙することになるだろう。
 それは予感ではない。
 なのはの意思が折れない限り、ほとんど確定された未来だった。
 こうして、なのはと少女の戦いは、幾度目かの再開を迎える。



 時はわずかに遡る。
 授業中の広い教室内、なのははノートを取るかたわらで、別のことを考えていた。ユーノが高町家から去る前に教えてくれたことを反芻していたのだ。
 一つの世界を一冊の本とたとえるならば、それらを並べる書架が次元の海に相当する。個々の本は、本来ならば互いに干渉し合うことなく存続していくものだ。しかし、ユーノがなのはの世界に来ることができたように、人の技術は別世界への介入を可能とするに至っていた。となれば当然、複数の世界を跨いだ犯罪が起きる可能性は否めず、実際に数多く起きている事件の解決を目指す警察のような組織も存在する。
 時空管理局である。
 彼らの仕事の一つに、ロストロギア対策がある。
 ロストロギアとは、進化しすぎた技術によって自らを滅ぼした世界の遺物の総称であり、そのような世界が遺した道具であるから、これの示す効果は非常に大きくなるのが必然だった。故に、使う方向を間違えれば、次元災害と呼ばれる、文字通り次元世界レベルでの災害などが起こりえる。ロストロギアの暴走が複数の世界をまとめて消し去ったという過去の事例も、実際に存在していた。そして、それを間近で見てきたからこそ、管理局はロストロギアの扱いについて非常に神経質な面を持っている。
 そのような事情があるので、本来ならば―――ジュエルシードも一級品のロストロギアであるのだから―――管理局次元航行部隊の艦船が、ユーノの通報に応じて迅速に駆けつけてくるはずであった。だというのに、現実には管理局に属さない民間人たるユーノが、ジュエルシード回収の任に当たり、それを現地住民たるなのはが手伝った。
 その大きな原因は、管理局の内部を上から下までかき回す大混乱だった。
 時空管理局の運営に大きな影響力を持つ、ミッドチルダという世界がある。次元世界の中心ともいえる、そのミッドチルダの治安維持を目的とする組織、管理局ミッドチルダ地上本部が、前代未聞の大規模な襲撃を受け、甚大な損害を被っていたのだ。これにより、ミッドチルダ地上本部は一時的に機能の大部分が停止する。数日後、更に追い打ちのように、ミッドチルダの首都全域を巻き込んでの大規模なテロルが起きた。これによって、地上本部と険悪な仲の次元航行部隊にまで混乱は伝播し、局の各所で動きが停滞、あるいは硬直した。襲撃およびテロルを行った人物が、複数の世界にて重大な犯罪の容疑で指名手配を受け、また大規模な次元災害を引き起こしえると判断されていたのも拙かった。
 主たるこれらと、これら以外の数え上げるのも億劫になるほど多くの要因が作り出した間隙を縫うように、ジュエルシードは地球の小さな島国の小さな町にばら撒かれてしまったのだった。
 以上が、ユーノから聞いた事のあらましである。
 運が悪い。与えられた情報からの、なのはの素直な感想がそれだった。しかしその言葉を耳で拾ったユーノが、なんとも言えない反応を見せたことが、心に引っかかった。結局その引っかかりについて尋ねることはできなかったし、仮にユーノがふらりと姿を消さなかったとしても、尋ねることはなかっただったろう。
 なぜなら心の中に生まれた仮説が正しいかどうかは、憶測に憶測を重ねて議論すべきことではなく、あの少女に直接問うべきものなのだから。
 そうだ。
 高町なのはは、もう一度あの少女に、今度はユーノの手伝いとしてではなく、自分の意思で会わなければならない。

「違う」彼女はすぐさま否定の言葉を紡ぐ。「あの子に、会いたいんだ」

 小さく声に出せば、それが確たる意志であるとの思いが更に強まった。ただの錯覚だと言いたい者は言えばいい。この時のなのはには、だからどうした、と言い返せる強さがあった。
 そのとき、まるで主の心が固まるを待ち侘びていたかのように、レイジングハートが声を上げた。

「結界……?」なのはは首を傾げる。

 レイジングハートによれば、ユーノのものと思われる結界が近くで展開されているらしい。
 デバイスを持っていても広域探査の魔法を使えないなのはであるから、散らばったジュエルシードの存在を感知することはできない。しかし、レイジングハートは主の能力に関係なく、ある一定の独立した機能を働かせることができる。それが、近くに発生した結界の存在を感じ取ったのだ。
 町中で結界を張るのは、どのような理由によることなのか。
 ユーノが未発動のジュエルシードを発見し、保険として結界を張ってから回収作業を始めたのか。
 それともジュエルシードとは関係なしに、結界を張らなければならない状況に陥ったのか。
 前者ならばいい。
 だが、後者であったなら、それはどのような状況だろう。
 まさか、あの黒衣の魔導師に襲われている?
 可能性として、あり得ないとは言いきれない。
 ユーノへの念話を試みても反応がないことも、なのはを焦らせる一因だった。
 できる限り目立たないように気をつけて、彼女は静かに教室を抜け出した。席が扉に近いのは運が良かった。肩越しにちらりと振り返ると、閉まる扉の隙間から、親友たちの顔が見えた。
 すずかと、次にアリサと目が合う。二人とも、扉が閉じる瞬間まで視線をこちらに向けていた。
 なのは静まりかえった廊下に足音を響かせ、校舎を飛び出した。その間にも、念話での呼びかけを続けている。しかし相変わらず応答はない。いるべき受信者の手応えが感じられない。

「はぁ、は……っ」

 後先考えない疾走で呼吸が乱れ喉がひりつくが、いまは形振り構っていられない。一体何事かと周囲から視線が飛んで来るも、それを気にする余裕もない。ただし、魔法が人目についてはいけないという認識だけは捨て去るわけにはいかない。
 結界付近にたどり着いたとき、なのははまず人目につかないビルとビルの隙間に体を滑り込ませる。そこで魔法の言葉を口にすれば、狭く薄汚れた裏路地に似合わない純白の花が咲く。どうしてかは自分自身にもわからないが、彼女の身を包む魔導師の鎧、バリアジャケットのモチーフは、聖祥大付属小学校の制服だった。
 その手に握った機械仕掛けの魔法の杖に力を借りて、なのはは結界の内側へと進入を果たした。
 音がない。
 未だに荒い自分の呼吸がよく聞こえる。
 肌に慣れた衣服の感触が不意に失われたような静閑さは、不思議を通り越して不気味でさえある。これまで幾度か経験してきたものの、この感覚には馴染めそうにない。しかし、それが今は好都合だった。通常から異常な空間へと切り替わったことを本能で察することができたからこそ、血液のように全身を循環する緊張感が得られるのだ。
 とん、と軽やかにアスファルトの地面を蹴って、なのはは飛翔した。
 視線はまっすぐ上を向き、四角く切り取られた空の青。
 その眩しさに目を細める。
 視界の端を、ビル側面の灰色が流れていく。
 ビルの隙間から空へと飛び出した。
 一直線に高みを目指しながら、地形の把握と索敵を同時に行う。
 見慣れた町の、見慣れない俯瞰図。
 濫立するビルの群。
 その間隙を縫うように飛び回る、黒い人影。

「あの子……」

 見つけた。あの少女だ。
 まだこちらには気づいていない。
 なのはには意図の読めないアクロバティックな飛行は、しかし、少しも危なげがない。舞う桜の花弁が指の隙間をするりと抜けていく様子を連想させるほどだ。あるいは森の中、木々を避けて疾駆する獣か。ともすればビルが自ら避けているとさえ思えてくる凄まじい俊敏さに、なのははしばしの間、見とれていた。
 あれに近づかれれば、自分では対処のしようがないだろう。離れて見ると、今さらながらによく分かる。
 いや、そもそも離れていないと目が追いつかない。
 そう考えた時だった。
 少女がビル壁に張り付くように設置された階段に腕を伸ばす。その指先に吸い寄せられたなのはの目が、階段の手摺りを走る小動物の姿を捉えた。

「ユーノ君!」なのはは覚えず叫ぶ。

 少女の動きが動物のそれに見えたのも必然で、つまるところ、それは獲物を追う肉食獣の動きだったのだ。テリトリーが空であるから、彼女の場合、猛禽と喩えてもしっくりくるだろう。
 一方の追われる獲物は、こちらは文字通り小動物だった。紺青の宝石を咥え、繰り広げるは死にもの狂いの逃走劇。人の身には思いもつかない動きで追手を翻弄しようと駆け回る。しかし、彼の最大の武器である繊細かつ鋭利な運動性能は、不幸なことに、追跡者も同じく持ち合わせているものだった。しかも、ユーノは怪我に加えて魔力を消耗した状態であるというハンデを背負っている。始まった時点で勝敗は見えていたと言っても過言ではない。
 なのはが声を上げたのは、ついに少女がフェレットを捕らえようとする、その直前のことだった。
 四つの瞳が、この場にいるはずのない魔導師、すなわち高町なのはへと向けられる。そこに籠もる感情は揃って驚き。そして、驚きがもたらすものとは、いつも決まって動作の硬直。
 引き延ばされた刹那から最初に抜け出したのは、ユーノだった。
 彼は足場を蹴り、弾けるように跳ぶ。紙一重の位置まで迫っていた少女の指から遠ざかる。
 少女が自らの失態に気づくのと、なのはがレイジングハートを構えるのとは、ほぼ同時だった。
 なのはは撃たない。しかし、構えられるレイジングハートを見た途端、ユーノに劣らぬ勢いで少女もその場を離脱した。二人の間に開いた距離を維持したまま、苛立った目がまっすぐになのはを睨んでいる。その、ジュエルシードへの未練を微塵も感じさせない切り替えの早さになのはは驚き、次いで気を引き締める。

〈なのは、どうしてここに?〉ユーノの念話。
〈うん……、やっぱり、あの子が気になるから〉
〈でも―――〉
〈危ないのはわかってるよ。ユーノ君が心配してくれてるのも〉なのはは、ユーノの言葉を遮るように言った。〈だから、これは私のわがまま。もちろんジュエルシードは回収するけど、それはあの子と会うためで、つまり自分自身のためってことになるのかな〉
〈……そっか。うん、わかった。今は納得しておくよ。いや……、巻き込んで、助けてもらって、今さら僕がどうこう言える問題でもないしね。今度は僕がなのはを手伝う番だ〉
〈ありがとう、ユーノ君〉
〈それは僕の台詞だよ。それより気をつけて。あの子がミッド式なのは確かだけど、どうやらそこにカートリッジシステムを組み込―――〉

 ユーノが言い終わる前に、今度は砲撃音が彼の言葉を上書きした。
 空間全体が揺さぶられたかのような大音響。
 手を伸ばせば触れられる距離をかすめていった黄金の魔法は、なのはの砲撃を魔力量で大いに上回っているように見えた。
 そんな、馬鹿な。なのはは思う。顔が引きつるのを自覚する。魔力量で勝り機動力に劣る自分は、距離を維持しながら射撃で戦うことでアドバンテージを得られると考えていたが、今のを見れば同じ考えを持ち続けることはできなかった。

〈どどど、どうしよう!?〉焦るなのは。危うく交通事故を逃れた直後のように、理性が後退してハイになっている。
〈と、とりあえず高度を下げて!〉ユーノが言った。〈高いところが好きなのは馬鹿と……じゃなくて、空戦で高い位置を取るのは有利ではあるけど、この場合、相手に狙いをつけやすくもさせるから〉

 彼の言ったとおり、ビルの影に身を隠して狙いを定めさせない少女に対して、遮蔽物のない開けた空に位置取るなのはは的と化していた。なのはや少女ほど魔力があれば、ビル群ごと薙ぎ払う戦い方も不可能ではないが、一方がそれをすれば、もう一方に隙を突かれて墜とされるだろう。
 言われたとおりに高度を落とし、なのはもビルの影へと逃げ込んだ。これで相手の位置がわからなくなったが、相手からもこちらの位置がつかめないなら、先ほどよりは幾分安全だろう。
 でも、安全なだけだ。
 少女との距離は遠ざかってしまった。
 やはり、捨て身で切り込んで、魔法ではなく言葉をぶつけた方がよかったのではないだろうか。そんな疑問が湧いてくる。別の可能性は、いつだって後になってから見えてくる。

「なのは?」気遣うような声色だった。

 いつの間にかすぐ近くまで来ていたユーノに声をかけられ、なのはは我に返った。
 これがユーノではなく少女だったら……。
 自分が致命的な隙を見せていたことに気がついて、ひやりとする。

「ユーノ君、怪我はない? 大丈夫だった?」なのはは取り繕うように尋ねた。
「うん、僕は逃げ回るだけだったから……。それもあとちょっとで危なかったけど、本当にありがとう、助かったよ。なのはは大丈夫?」
「大丈夫」なのはは短く答えた。

 お互いの無事を確認する作業はそれで終わり。
 意識を切り替える。

「さっき伝えられなかったことだけど」ユーノが言った。「あの子のデバイスには、カートリッジシステムが組み込まれているみたいだ」
「カートリッジ、システム?」なのはは繰り返した。
「そう」ユーノは頷く。「魔力を封じ込めた弾丸を使って一時的に魔力を高める手法で、元はというと魔力の少ない民族よる工夫なんだけど、元から潤沢な魔力を持つ魔導師が使った場合」
「さっきみたいな凄い魔法に」なのはは、引き継いだ言葉を途中で止めた。「……話は変わるけど、ユーノ君、なんだかデバイスみたいなものを構えた女の子が見えるんだけど」
「え? 僕には既にいくつもスフィアを展開して今まさに撃たんとする魔導師の姿しか見えないけど」
「そう、残念ながら私にはもうあの子が撃ったようにしか見えないの」

 針のように細い射撃が雨あられと降り注ぐ。近辺で一番高いビルの屋上からの一斉掃射だった。
 悲鳴を上げて逃げ回るなのはとユーノ。
 これはもう覚悟を決める他はない。戦いが避けられないなら、戦いながら声をかけ続けるしかない。

「待って!」なのははシールドを展開しながら叫んだ。「ジュエルシード! ジュエルシードが欲しいなら、その理由を教えて! 私たちはあなたの敵じゃないから!」

 こうして、なのはと少女の二度目の戦いが始まったのだった。
 幾度も墜とされ、幾度も食らいつく戦いが。



「勝ったらジュエルシードをちょうだい」
「うん、わかっ」
「ダメだよなのは。いまの、主語が抜けてる」
「チッ」
「うわ、舌打ちした」

 そんなやり取りがあったかどうかは定かでないが、なのはと少女は互いに相手が欲しいものを掲げて戦っていた。これは語りかけることを止めなかったなのはの功績だった。撃墜しても撃墜しても立ち向かってくるあまりのしつこさに少女が折れたとも言えるが、とにかく、敗者が差し出す賞品を約束させたことには間違いない。
 なのはは、話を聞いてもらうこと、話を聞かせてもらうことを欲し、
 少女は、ジュエルシード一つを欲した。
 なのはを一方的に打ち負かし、その手の内にあるジュエルシードを全て奪うのが、少女にとって一番効率のいいやり方だったことを考えれば、交渉での勝利はなのはのものだった。そして、何よりも会話が成立したという点において、なのはは大きなものを得ていたのだ。
 しかし、熱にしても空気にしても情報量にしても成果にしても、あらゆるものは多いところから少ないところへ流れ、全体は平均化するものだ。もちろん人為的に偏りを生むことは可能だったが、それを成そうとする強い意志は、なのはと少女とで均衡し、釣り合っていたので、やはり結果は変わらない。先に得たなのはは、今度は失う側へと回り始めていた。
 少女のカートリッジは既に尽きている。けれども、それで削られたなのはの魔力は戻らない。自身の魔力を温存することに成功した少女が攻めに回れば、なのははたちまち撃墜されてしまう。実際、何度も撃ち落とされて、その度に体力、気力、そして魔力を大きく奪われていた。
 意識が朦朧とする。
 手足はこんなにも重たいものだったのか。
 あんなに近かった空が、今ではなのはを拒絶しているかのように遠い。
 皮肉なことに、体力や気力よりも先に、誰よりも多く生まれ持った魔力が底を尽きかけていた。
 ぼやけた視界に、黒い鎌を振りかぶる少女の輪郭が映る。
 迫る金色の刃。
 打ち砕かれる脆弱な防御。
 衝撃に体を貫かれながら見た赤い瞳には、苛立ちと怒りだけが込められていた。
 なぜかその事実に安堵を覚えながら、なのはの意識は暗転した。







 今日のジェイルさん。

「広域次元犯罪者、ジェイル・スカリエッティ。あなたを、逮捕します」
「いや、参った。やはり前倒しし過ぎたか」

 プレシアが激怒するだろうなあ、などと考えながら、あっさり逮捕されました。







 フェイトはアルフに背負われていた。一度は断ったものの、アルフが再三に渡って申し出てきたので、押し負けたのだ。
 疲れた体には、アルフの歩くリズムが心地よい。目を閉じれば眠ってしまいそうなのは、しかし、疲労だけが理由ではなかった。フェイトはこうしてアルフに背負われることに、体の芯から慣れていたのだ。最も安心できる場所の一つであるからこその、全身の脱力である。
 フェイトの十年にも満たない人生において、母の傍にいた時間よりも、アルフと共に過ごした時間の方が、おそらくは長い。フェイトとアルフの関係は姉妹のようなものだった。だから、現地の魔導師との戦いで疲れたフェイトをアルフが気遣うのは当然であったし、それ以前に、戦いを手伝おうとしたのも当然だった。

「ねえ、フェイト」アルフが問う。「どうしてあの時、一人で戦うなんて言ったんだい?」

 保険として待機していたアルフが戦いに参加しようとしたのは、あの白い服の魔導師が結界内に現れてからすぐのことだった。
 二人でかかれば、決着はもっと早く、もっと一方的な形でついていただろう。フェイトがここまで消耗することもなかったはずだ。いや、それを言うなら、そもそも最初から二人であのフェレットを追いかけていれば……。
 フェイトはそれら全てのことを事前に計算し、理解していながら、それでもアルフの介入を止めたのだ。

「わたし一人で十分だったから」フェイトはアルフの耳元で、彼女だけに聞こえる声の大きさで言った。「それに、あの白い服の魔導師……、二人がかりで倒しても、絶対に納得しないような気がしたから」
「あー……、確かに面倒くさそうな感じはしたけど。でもさ、結局フェイトが一人で倒したけど、次も突っかかって来そうなのはあたしの気のせい?」

 言われてみるとその通りで、一人で倒そうが二人で倒そうが、それどころか百人で囲んで倒そうが、快復と共に再び挑んできそうな気配があった。しかも、前回の戦いとも呼べない戦いと比べて、今回、あの魔導師は徹底的に距離を取り、どうにか戦いの形を繕うことには成功していた。彼女の急速な成長がこのまま止まらず、戦いの度に厄介な障害物として立ちはだかってくる可能性も決して否定はできない。
 けれども、そう考えると、アルフの存在を明かさなかったのは正解であったようにも、フェイトには思えてきた。仮にあの魔導師の戦力がフェイトと肩を並べるようになったとき、権衡をたやすく崩す奥の手、すなわち奇襲用の戦力は重宝するはずである。

「まあ、フェイトがいいなら、あたしはそれでいいんだけどさ」
「うん。あの魔導師もジュエルシードを集めるなら、それはそれで効率は悪くないかもしれないし」

 この時点でのフェイトたちは知らない単語だが、発想の根幹は、鵜飼という漁方に近いものがある。
 あの白い魔導師のデバイスにジュエルシードを吐き出させるのと、当たり外れの落差著しい広域探索の魔法を使うのとを並べたとき、確実性を重視するなら、多少の面倒が伴うとしても前者の方が好ましい。しかし、フェイトたちには時空管理局という名のタイムリミットがあった。それ故に、今後は自分で探し、またライバルから奪い取るという両方の手段を用いることになるだろう。
 今回は敵の口車に乗せられて、こちらに何のメリットもない条件を容れてしまったせいで、ジュエルシードを一つしか手に入れられなかったが、いざとなったら強引に全て奪い取ってもいい。

「そう、今は預けてるだけ……」
「フェイトぉ……」何とも形容しがたい、それでも敢えて言葉にするならば、酷く情けない口調でアルフが呟いた。「それ、なんだかほら、アレみたいだよ……、銀玉銀行」
「なに、それ?」フェイトは訊いた。
「よくわかんないけど、好きなときには引き出せないとか。肝心なときに閉まってるのかねえ?」
「ねえ、アルフ。あの人、どうしてわたしに挑んでくるのかな?」
「んー、ジュエルシードだけじゃあないみたいだったけど……。あ、この前、フェイトがいきなり攻撃したせいかも。あれで怒ったんじゃない?」
「話を聞いて欲しいってずっと言ってた」
「じゃあ友達がいないんだよ、きっと」アルフは自分の言葉に笑う。

 後ろから抱きつくようにアルフの首に回した腕に、意図せぬ力がこもったことをフェイトは自覚した。
 フェイトに友達はいない。

「フェイトには、あたしたちがついてる」アルフが言った。そして、小さく跳ねるようにしてフェイトを背負い直した。「ほら、もうすぐ部屋につくよ。そうだ、この前美味しいケーキ屋を見つけたから、今度ふたりで買いに行こう?」
「うん」フェイトは薄く目を閉じて囁く。「お土産にケーキを持って帰ったら、母さん、喜んでくれるかな」
「きっと喜んでくれる」
「私は、アルフと母さんがいてくれれば、それでいい」

 母がいて、アルフがいる。
 真実、それで満足しているのだ。
 友達という概念は、よくわからない。わからないままでいいや、とフェイトは思った。
 ふと、あの魔導師の白い服が、まぶたの裏の黒い視界をよぎった気がした。
 わたしの、そして母さんの邪魔をする、未熟な魔法使い。
 彼女について考えるとき、付随する感情は苛立ちだけだ。
 だというのに、どうしてか、フェイトはあの魔導師のことが気になるのだった。

「ごめんよ……、フェイト」
「なにが?」
「うん、なんでもないよ」







 気づけば自室のベッドの上。これで二度目だ。
 恐らく玄関を経由せず、転移魔法で直接この場に運ばれたのだろう。前回がそうであったし、ユーノの体のサイズを考慮したところ、それ以外の方法はなのはの頭では思いつかなかった。
 どうやら服装は変わっていないようだ。といっても、バリアジャケットではなく外出用の服である。靴は履いていなかったが、首を動かして見える範囲には、どこにも見あたらない。
 なのはは天井を眺めながら安堵のため息をついた。どうやら家族に心配をかけずにすんだらしい。というのも、気絶したなのはを家族が見つければ、これも以前と同様に、母か姉の手でパジャマに着替えさせられた上でベッドの上に寝かされるはずなのだ。そして、間違いなく大いに心配される。しかも、この短い期間に二度ともなれば、さすがに様子を見ようということにはならず、病院に連行されてしまうだろう。なのはとしても、誤魔化しきる自信はないし、何より心配してくれる家族への誠実さに欠けることはできそうにない。
 きっと、今回はユーノが密かに事を運んでくれたのだ。前に少女に敗れたとき、気絶していた事情を説明できずに困り果てたなのはの姿を、彼は申し訳なさそうに見ていた。だから、多少の無理をしてくれたのだろう。
 目が覚めてからここまでの思考に三秒。頭の回転はそれほど悪くない。

「よいしょ」なのはは体の重心を右に寄せ、右腕で上半身を持ち上げようとした。「――って、うにゃっ?」しかし、腕にも腹筋にも力が入らず、右に傾いた体は寝返りを打つような動作。残念ながらベッドの右にはほとんどスペースが残されていなかったので、なのはの体は勢いのままに転げ落ちていく。

 たまらぬ顔面ダイブであった。
 ひっくり返って床に落ちたピザのように、なのははうつ伏せで床に張り付いている。どうにか立ち上がろうと全身に力を入れるも、四肢は生まれたての子鹿みたいに震えるだけで、少しも体を持ち上げられない。このままではジリ貧であると考えて、一度力を抜いた。今度は煮すぎた餅みたいになった。でも気にせず、なのははその状態のまま精神を集中し、ぐっと力を溜め、一瞬に全てを注ぎ込む決心で立ち上がろうと試みる。ノミのように跳ねてから、無様に頬で着地した。
 寝床から顔をのぞかせたユーノと目が合ったのは、ちょうどそんなときのことだった。
 どうやら、一部始終を目撃されたらしい。こちらを見る深緑のつぶらな瞳が、なにやらそんな感じだった。
 数秒の沈黙の後、ユーノは何も言わず、ただ魔法でなのはを持ち上げてベッドに寝かせたのだった。



「ブラックアウト?」ユーノから魔法を教わる過程でその言葉を知っていたが、なのはは思わず尋ねてしまう。
「うん」ユーノが律儀に答える。「結局、魔力は魔力という名前がつけられたエネルギーだからね。魔力を使い切るのは体力を使い切るようなもので、純粋魔力ダメージや魔法の使いすぎで魔力が枯渇すると、一時的に身体の活動レベルが落ちて、結果、これはなのはも知っての通りだけど、意識を失ってしまう。これがブラックアウト」

 その状態で更に過負荷を与えられると、魔力の源であるリンカーコアや他の身体器官にも無視できない損傷が発生することがある。これをブラックアウトダメージなどと呼ぶ。
 なのははそこまで理解していた。覚悟の上で、黒衣の少女に魔法戦を挑んだのだ。

「それじゃあ、私の体が動かないのも」
「それは運動不足じゃないかな」あっさり斬って捨てるユーノだった。
「ええ……ッ!? た、たしかに運動はしてないけど……」
「いや、ごめん、冗談というか……。本格的な戦闘訓練を受けた魔導師と比べれば、誰だって運動不足だといえるから、そういう意味での運動不足だよ。むしろ、運動不足を実感できるまで戦いを維持できたっていうのが、僕には凄いことに思えるかな。それになのはの場合、連続して気絶と覚醒を繰り返したせいで、きっと自分で考える以上に消耗しているはずだし。一応治療はしたけれど、全身疲労は抜けてないだろうから、しばらくは安静にした方がいいと思う」
「そっかー」なのはの返事は気の抜けた声だった。

 これだけで済んでよかったと喜ぶべきなのか、それとも、しばらくあの少女と出会えないのを残念に思えばいいのか。少しだけ考えて、どちらかに決める必要はないと結論した。これだけで済んだことは喜ばしいし、しばらく会えないことは残念である。そのままでいい。

「きっと、明日の朝には全身が筋肉痛になってるんじゃないかな」ユーノが何とはなしに呟いた。
「うわ、どうしよう」
「とりあえず、完全に良くなるまでは無理をしないこと。明日は……、まあ、頑張って」
「他人事だよぉ」なのはは嘆く。
「ぼ、僕はほら、その間にジュエルシードとあの子を探しておくから」
「あ!」ユーノが喋るのを聞いて、どういうわけか今まですっかり忘れていた事柄を、なのはは思い出した。「そうだ、ジュエルシードは!」

 しまった、という気配がユーノから伝わってきた。彼はどうやら気を遣ってくれていたようだ。少女に敗れてジュエルシードを奪われたなのはが気を落とさないように考えたのだろう。
 それに、少女との間に賭けを成立させたはいいが、なのはは気絶してしまったので、賞品のやりとりまでは見ていない。あるいは、全てのジュエルシードを持って行かれたのかもしれなかった。

「それは大丈夫。なのはもあの子も、お互いにきちんと約束は守っているよ」ユーノは断言した。

 ユーノが言うには、彼が予め準備していた転移魔法が、ブラックアウトした直後のなのはを安全圏まで運んだのだという。そのとき、彼はわざわざジュエルシードを一つ、その場に残してきたらしい。なのはの手伝いをすると言った彼は、なのはが少女との約束を破って嘘つきにならないよう、気を遣ってくれたのだ。また、少女も、ブラックアウト状態のなのはに追撃をかけて全てのジュエルシードを奪おうとはしなかった。

「そっか、よかったぁ……」

 じわりと心の底から暖かい喜びがわき出てくるようだった。必死に食らいついてようやく取り付けた約束には、ちゃんと意味があったのだ。それが、なのはには無性に嬉しかった。

 後押しするようにユーノが口を開く。「あのとき、なのはが来てくれなかったら、僕が見つけたジュエルシードをあの子に奪われるだけだったから、それを考えると悪くない結果じゃないかな。それに、僕も無事では済まなかったかもしれない。なのはには助けてもらってばかりで、本当に感謝の言葉もないよ」
「そんなことないよ。私だってユーノ君に助けてもらってばっかり。それに、ユーノ君がいなかったらあの子にも会えなかった」
「うん……」少し考えるように間を置いてから、ユーノは尋ねた。「ねえ、なのは。これは別に答えてくれなくてもいいんだけど、聞いてもいいかな」
「なに?」なのはは首を傾げた。
「なのはは、どうしてあの子が気になるの? あそこまで必死になれる理由はなに?」

 その質問に、なのはは咄嗟には答えられなかった。容易には言語化できなかったのだ。
 動機を濾過して言語にする処理が、どうしても上手くいかない。これ以上濾過できないほど純粋なのではなく、フィルタが詰まっている。
 なのは自身、自分を動かしたモノの正体を掴めていなかった。ただ、あまり好ましい色をしていないことはわかる。あまり触れたくない色彩。きっと、味は苦い。

「ごめん、ただの興味からの質問だったから、気にしないで」ユーノが少し焦ったように言った。「理由がどのようなものであっても、僕はなのはを手伝うよ」
「うん……」なのはは微笑んだ。「ありがとう、ユーノ君」

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