じゃぷにか闇の日記帳

08b

・9月10日 金曜日 くもり→晴れ

『ようやくヴィータがなのはちゃんとも仲良くなってきてうれしいです。 はやて』
『実は繊細なんですよ。最初は人見知りしても、一度打ち解ければ大丈夫です。 sha』
『すずかちゃんやアリサちゃんとはすぐに仲良くなったけど、なのはちゃんとは時間がかかったみたい。 はやて』
『なんだかなのはちゃんの方が怖がっているように見えましたけど。 sha』
『前にも言った、ヴィータとしゃべるときに限って聞こえてきた幻聴のせいみたいです。それも最近はなくなって二人は仲良し。 はやて』
『幻聴ですか。 si』
『ヴィータが何も言ってないのに声が聞こえたり、ヴィータがしゃべってることとは違うことが聞こえてきたり。 はやて』
『ヴィータちゃんが話をしているときだけ? sha』
『いままではそんなことはなかったみたい。なにか心当たりはある? はやて』
『いえ、特にありません。ごめんなさい。 sha』
『私もありません。お力になれず申し訳ありません。 si』
『二人が謝ることじゃないよ。それに、いまは仲良くできてるから大丈夫。 はやて』
『そうですか。よかった。 sha』
『ヴィータの方はケーキやクッキーと仲良くしているようにも見えますが。 si』
『仲良しのお菓子たちをバリバリむさぼる、すっかり翠屋の常連さんなヴィータなのであった。 はやて』
『何にせよ、結果として仲良くできているのであれば、それはそれで良いことです。 si』
『なかよしさんすぎてダブル嫉妬! いまもケーキ買いに行ってます。 はやて』
『きっとはやてちゃんとすずかちゃんの仲良しに対抗してるのだと思いますよ。 sha』
『照れるぜ。 はやて』
『はやてちゃんに素敵なお友達ができて安心です。 sha』
『あのときのシャマルの魔法には感謝感謝。 はやて』
『あれは迂闊すぎでしょう。 si』
『いまでは反省してます。 sha』
『結果よければ。 はやて』
『すべてよし。 sha』
『誰が反省していると? si』
『見事な釣り師ぶりです。 za』
『ありがとう。そう言ってくれるのはザフィーラだけです。 はやて』
『シャマルはどうせ本音でしょう。反省が足りていないようです。 sha』
『ぐすん。 sha』
『感謝してるよー。 はやて』
『元気になりました! sha』
『反省(ry si』
『ぐすん。 sha』





 はやてがキッチンでちょっと早めに夕食の準備をしていると、玄関の方からヴィータの声が聞こえた。

「はやて、ただいまー」

「ヴィーたんインしたお」

「なにか言ったー?」

「まだ外暑かったー?」

「空が綺麗だったよ。葡萄酒色っていうのかな。きっと明日も晴れだ」

 ずれた返事と共に、キッチンに入ってくるヴィータ。その手にぶら下がっているのは紙箱だった。白い地に、側面をぐるりと一周リボンで巻いたようなラインが入ったデザイン。そして『翠』の一字。

「おかえり。今日はどんなの?」はやては尋ねる。

「イチジクのタルトレットとマンゴーのムースケーキ」ヴィータは戦利品みたいに翠屋のケーキ箱を掲げた。「冷蔵庫にしまっとくね」

「奥の方にしまいすぎて、冬眠明けのリスみたいにならんように気をつけてなー」

 つい最近、買ってきたケーキの存在をすっかり忘れてお喋りに興じるということがあった。食べ忘れたケーキは翌朝美味しくいただいた。寝る前に食べるよりはいくらか健康的だったが、食べる量が増えてきているという事実の前にはあまりにも脆い健康志向である。

「ドライアイスどうしよう」ヴィータが尋ねる。

「そのままでええんちゃう? ケーキ冷たくしよ」

「了解」言いつつちょっと残念そうなヴィータは、水の中にドライアイスを放り込みたかったのだ。

 かく言うはやても、あれを眺めるは好きだった。白くまったりとした泡がブクブクと現れ、水面に出た途端に煙となってすぐに消える。ちょっと不思議で、どこか人を虜にする力がある光景。ケーキを食べて用済みになったら、水を溜めた桶に入れて、二人でじっくりと観察しよう。

「そや、ドライアイスと言えば……」不意に思い出し、はやては包丁を止めた。「昔、缶の紅茶で炭酸入ったのがあったって聞いたんよ。そんで自分で作ってみよう思って、炭酸水買ってきてポットに入れたら」

「ああ、ただのお湯になったんだ」ヴィータは吹き出す。「そっか、そういうこと」

「差し湯みたいに使わなあかんのな」はやてもつられて笑う。

「結局、飲めなかったの?」

「冬やったしなぁ。アイスティ作る気にもならへんかったし、それ以来きれいサッパリ忘れとったから」

「いまからちょっとそこのコンビニまで走ってこようか?」

「いや、明日も覚えとったらでえーよ。もうご飯できるし、氷もたくさん作っとかなな。それに今日は冷えたデザートがあるから、温かい紅茶でも」

「うん、それじゃあ覚えとく」ヴィータが車椅子の背後からはやての手元を覗き込んだ。味噌汁を差して言う。「これ、もう持って行っていい?」

「あ、よろしくー」

 それから三十分も経たないうちに、空は墨色に染まった。
 またたく星々は、暗幕に開いた小さな穴だ。
 そこから誰かが覗いているのかもしれないので、はやては家のカーテンをすべて閉めた。
 何もない幸せな一日がまた終わる。

 そんなことが、あった。





・9月20日 月曜日 雨

 敬老の日というものは海外にはない。輸入された祝日ではなく、国産なのである。
 日本では、毎年9月の第三月曜日に、多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し長寿を祝う、そのような祝日があるのだ、という説明を添えてはやてはペンを贈った。宛先は当然グレアムおじさんである。あまり高いものは買えなかったが、喜んでもらえればいいな、と思う。

「んー、それにしても、いま思えばグレアムおじさんってどんなお仕事されとるんやろか」

 社会につくしてきた、などといっても、その具体的な内容はちっとも知らなかった。だというのにもっともらしく贈り物などしてしまって、少し不誠実ではないだろうか。彼女はちょっとだけ心配になる。

「え? 紳士って仕事じゃないの?」ソファに座ったヴィータがきく。

「どんな仕事やねん」はやてはつっこんだ。

「えっと……、ほら、紳士らしくする仕事。家の中でも朝から晩まで三つ揃いのスーツ着て、革靴はいて、立派な帽子かぶって、銀縁の眼鏡かけて、ステッキ持って、パイプくわえてるような」

「似合いそうなのが怖い」

「この世界だと、文化を残すとかいう名目で保護されたりしないの?」

「ヴィータの生まれたところやと、そういうことあったん?」

「ん、どうだろ。ベルカはもうないし、古すぎてあたしもあんまり覚えてないから。でも、そもそも文化を保護するなんて余裕がなかったような気もするけど」

「余裕がなかった?」はやては上半身を少しだけ前に傾け、隣に座ったヴィータの顔を覗き込むようにして見た。

「ずっと戦乱の時代が続いてて、その戦乱が終わる前に土地が死んだって聞いてる」ヴィータは肩を竦める。「いまになってようやく、古代ベルカ文化とかの継承で焦ってる団体があるみたいだから、闇の書も持って行かれないように気をつけないと」

「え、持って行かれるん?」はやては驚いた。

「まあ、持ってることがバレたら。この国で例えれば、実は超文明を築いてた邪馬台国の遺品が、現役で動く対消滅エンジンでござった、とかそーゆーレベル。で、政府やら自称邪馬台国の子孫やらが、それを奪いにやって来る」

「さようでござるか」

 対消滅エンジンがなんなのかはわからないが、超技術っぽいということはわかった。というか邪馬台国とか詳しいな、とはやては関心する。
 魔法使いは数字に強いらしく、算数の勉強では抜群の教師っぷりを発揮するヴィータだったが、この世界、この国独自の人文系科目にはとんと弱いはずだった。もしかすると、知らないところでこっそり勉強したのかもしれない。あなどれぬオナゴである。

「まあ、別にベルカは古代の伝説の都市とかじゃないし、高い技術を持ってたことも広く知られてるんだけど。邪馬台国よりムー帝国とかの方が近いかも」ヴィータはソファの背もたれに大きく体重を預けた。その様子は、小さな体が巨大なプリンに沈み込むみたいに見えた。「でも、大丈夫。世界は広いし、闇の書を奪われるなんてことには、きっとならない。あたしたちはずっとはやてのすぐ傍にいるんだ」そうあって欲しいと祈るような、そうありたいと誓うような、不思議な響きが彼女の声に溶け込んでいた。

「そか。ヴィータがそういうんなら一安心やな」

「うん。奪いに来るやつがいるなら、あたしが叩き返す」その言葉に呼応するように、ヴィータの胸元のペンダントがきらりと光った。

「いきなり戦ったりしたらあかんよ。まずは話し合わな」

「あたしたちの場合、話し合いは叩きつぶしてからっていうのが基本なんだけど」

「プリン怪人とかが闇の書奪いに来たらどうするん? 叩いたら潰れてまうよ」

「え? プリン……、怪人?」目を丸くしてこちらを見るヴィータ。聞き間違えかと思ったのだろう。

「そういえば、なんやったっけ。ほら、あれ、ピカチュ、やなくて、……カッチュー?」はやては突然話題を切り替えた。「ベルカの騎士が怪人と戦うときに着る言うとった服」

「怪人とは戦わないけど、うん、でもそれであってる。騎士甲冑」

「そう、それや。その騎士カッチューのデザインは、代々闇の書の主が決めるって」

 ヴィータは頷く。
 魔法について色々と聞いていたときのことだ。闇の書と共に世界を旅してきたヴィータたちは、その時々の主から、身に纏う甲冑を賜るのだという。その話を聞いたときから、はやてはこっそりと作業を進めていた。はやてを最後の闇の書の主に決めた、という話も聞かされていたので、気合いが入るというものだ。

「実はみんなの分のデザインが、ついこの間、完成しましたー!」はやてはバンザーイと両手を挙げた。「というわけで、ちょっと取ってくるんで待っててなー」

「一緒に行くよ」ヴィータが見た目にそぐわぬ力を発揮して、はやての体を抱える。そして、まったく軸がぶれることもなく車椅子の上まで運ぶ。

「ありがとなー」

「みんなの分って、シグナムやザフィーラのも?」車椅子を押しながら、背後から尋ねてくるヴィータ。

「そやで。って、こら、シャマル仲間はずれにしたらあかんよ」

「あ、うん、いや、いまの場合は逆というか」ヴィータは口ごもる。

「んー? 逆?」

「ううん、なんでもない」ヴィータは首を振る。それから身を乗り出すようにして、自分の顔をはやての顔の横あたりに運ぶ。頬ずりできそうな距離。「ねえねえ、それより騎士甲冑、どんなの?」

「ふふふ、聞いて驚き。なんとウサギの全身着ぐるみ」

「うぇッ!?」

「にするんは可哀想やと思ったんで、みんなおそろいで色違いの全身タイツにパステルカラーのガスマスク」

「うわー!?」

「という第二案を棄却しまして、決定稿の第三案です。これは実際にデザイン見てもらわな伝わらん程度には普通やねー」

 あからさまにため息をつくヴィータ。安堵と呆れ、ブレンドの比率はわからないが、それははやてにとって美味しそうに見えるものだった。





 そんなことがあった、その日の夜。
 はやてはいつものように日記を書いていた。一日を振り返る作業が楽しくなかった日など、この日記をつけ始めてからというもの、ほとんどないといってよい。今日が楽しいから明日も楽しいはずだ、などという思考の道筋を手に入れたのはつい最近のことなのに、まるで手に馴染んだ道具を使うかのように、無理なく明日の幸せを予想できた。
 最後の一文字を書き、自分の名前で締めくくった。ちょうどそのページを綺麗に使い切ったので、明日は次のページの頭から書き始めることができる。些細な気持ちよさだが、これが有ると無いとでは大違いだ。まずペンの滑りが違う。すると、その一日の勢いも違ってくる。微細な差は、時間を経て大きく成長する。扇形の中心角、半径、それに円周の関係にも似ている。同じ開き方をしていても、半径の大きい扇ほど、端から端までの長さも大きい。一方、中心角が大きい扇もまた、円周が長くなる。こちらの比喩は、闇の書との出会いに相当する。はやての人生における、最も大きな転換点の一つといえよう。出会ったから、いまは扇の左端にいる。出会わなければ、右端にいただろう。どちらが良いかはわからない。しかし、いまが良いということはわかる。
 はやては、積み重ねてきた時間を見た。闇の書の使用済みのページ。いつの間にか半分を超え、更にその半分も消費し、更に半分、更に……。
 ヴィータが現れてからは、ページの消費が少し早くなった。ヴィータとの会話分が減り、代わりにヴィータが他の騎士たちとの会話をするのに、闇の書を介す必要が出たからだった。合計すると、わずかに以前よりもペースが上がっていた。
 そしていま、
 残すところは、一枚一枚数えても苦にはならないほどだ。
 たぶん、予感はあったのだろう。
 だから、
 このときふとこぼれ出た問いかけは、しかし、後のはやてが過去を振り返ったとき、これ以上に勇気を振り絞った経験はないと断言せざるを得ないものだった。

「なあヴィータ、闇の書の残りのページ、使い切ったらどうなるん?」



【残り35ページ】
【400頁分の蒐集が完了しました。管制人格の起動には主の承認が必要です】

 

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