じゃぷにか闇の日記帳

08a

・8月15日 日曜日 くもり


「朝ごはん! 朝ごはん!」

「メシ! メシ!」

 二人は一緒に朝食を作っていた。
 八神家の主としては、自分の料理をヴィータが美味しそうに食べてくれるのが嬉しいのだが、しかし、実際にこうやって二人でキッチンに立つと、これがなかなかどうして悪くない。それらのことを抜きにしても、そもそもヴィータがやってみたいと言ったことを退けるはやてではなかった。

「あ、ヴィータ、乾燥ワカメいきなり入れたらあかんよー」はやては昔を思い出す。「私が初めてお味噌汁作ったときなんか、乾燥ワカメが大反乱起こしてえらいことに……」

「へー」

「なんやろ、あれはワカメと油揚げと豆腐の味噌煮やったんかなぁ。しかも、捨てるのはもったいないから別のお鍋に分けて作り直したら、炊き出しみたいな量になって大変やったわー」

 失敗談を聞いたヴィータは、しかし、穏やかに笑った。おかしな話を聞いたというよりは、心温まる物語を聞いたという風だった。
 予期しなかった反応に小さく首を傾げながらも、はやては包丁を握った手を止めず、気持ちの良いリズムを刻む。

「あ、お味噌溶かしたら沸騰させんように気をつけてなー」

 作業しながらもアドバイスする余裕がある自分に、はやては少しだけ感心した。ヴィータに語ったように、料理を始めたばかりの頃は何をするにもそれ一つに集中してなお力が足りなかったが、それがいまや、淀みのない手際で複数のメニューを同時並行的に作り上げることさえ可能である。ある日突然に料理の才能に目覚めるなどという経験はした覚えがないので、少しずつ上達してきたはずなのだが、その変化を意識したことはなかった。
 闇の書が日記帳として機能し始めてからというもの、明らかに、新しい自分を見つけることが増えている。
 果たして、いままで自分を見ようともしなかったのか、それとも現在進行形でどんどん新しくなっているのか。どちらにしても、闇の書が優れた鏡であることは確かである。覗き込みたいと思わせる力が、ある。
 覗き込んだから新たな自分を見つけたのか、それとも覗き込んだ自分を見たから変わろうとしたのか。これは些細な問題だった。
 大切なのは、鏡に映る自分を見たいと思う意志、そして実際に覗き込んだということ。つまり、自ら他者と関わろうとすること。そうすることで見えてくる自分自身の存在を意識すること。
 映し出される自分の姿を見たいという欲求、それこそが、人が他者を見る理由である。否定するにしても肯定するにしても、嫌うにしても好きになるにしても、まずは対象を見なければ始まらない。

「なんか超賢者モードになっとるなぁ……」はやては呟く。

「うん? はやて、何か言った?」ヴィータは親の敵のように監視していた鍋の水面から視線をはがしてきく。

「すずかちゃんの家に行くのお昼過ぎの約束やし、お昼ご飯はちょっと早めにしよかなー、って」

「まだ朝ご飯もできてないじゃん」

「むむ、いま呆れたやろ? 料理人なめたらあかんでー。朝作っとるときに昼のことまで考えるんが料理人、夜のことまで考えるんがよく訓練された料理人や!」

「あ、はやて」

「うん?」

「そっちの鍋、ふいてる」

「わわ、火止めて!」





「ねえ、ほんとに一緒に行っていいの?」

「ええに決まっとるやろ。すずかちゃんも是非にー、て言ってくれとるんやし、ヴィータが遠慮する理由なんかあらへんよ。それに、ヴィータ一人置いてけぼりにするくらいなら、私も行きたくない」

「それはダメ。……うん、わかった。だったら行くけど」

「あ……、それともヴィータ、もしかして嫌やった? 無理強いしてまで一緒に」

「ううん、そんなことないよ。はやての友達に会えるのは楽しみだし。それに、向こうが二人も紹介してくれるんなら、はやても紹介するのがいた方がやりやすいんじゃない?」

「あー、たしかに。すずかちゃん軍団に飲み込まれるんやなくて、むしろ飲み込むぐらいの勢いでいった方が面白いかもなー。うん、これはますますヴィータの力が必要やね」

 ということがあって、はやてはヴィータと共にすずかの家を訪れていた。招待してくれた上に迎えの車まで寄こしてくれたので、はやては恐縮したものだった。しかし、ハンドルを握る美人のメイドさん(メイドさん!)と話をしている内に緊張も解けた。一方、ヴィータは走る車の窓からの外を眺めたり、話に乗ってきたりと最初から自然体でいた。そんな彼女ですらも驚いたのが、月村家の屋敷だった。とにかく大きい。しかも、大きいものに特有の大雑把な雰囲気がかけらも感じられない。細かい上品さを気が遠くなるほどたくさん積み上げたら巨大になった、という印象である。はやての家もバリアフリー環境の整った、平均的ではないお金がかけられた住宅ではあったが、それでもこの並外れた屋敷と比べれば、ダイヤの前のトパーズだった。

「すげー」

 ヴィータの呟きに、はやては心の底から同意した。
 二人は驚きの残響が消えない内に屋敷の中へと通されて、そこですずかとその友達二人に出会うことになる。

「えっと……、月村すずか、アリサ・バニングス」皆が自己紹介を終え、ヴィータは聞いたばかりのものを復唱する。「それに、高町―――」

「ええ!?」なのはが大きな声を上げる。「ナッパじゃなくてなのはだよー」

「なのはちゃん?」
「なのは?」

 すずかとアリサは同時に尋ねた。声には出さないものの、はやても首を傾げた。皆の視線はなのはに集まっている。

「急にどうしたのよ?」皆を代表してアリサがきいた。「大声上げたりして」

「どうしたのって……」なのはがアリサの顔を、次にすずか、はやてを順に見る。そして、最後にヴィータを見た。「ヴィータちゃんが私の名前を間違えて」

「まだ何も言ってねーです」半ば棒読みで喋るヴィータ。

「だからナッパじゃないってばー!」

「ちょっと、なのは? ホントに大丈夫?」

「え? あれ……?」なのははもう一度ヴィータの顔を見た。

「まだ何も言ってねーです」再びヴィータ。

「ほら! 今度こそナッパって……!」なのはは親友二人に向く。

 すずかとアリサは首を振った。
 なのはがついに泣きそうな顔ではやてを見たが、はやても首を傾げること以外はできなかった。

「夏休みに入ってから毎日塾だったから……」すずかが優しく労るように言う。

「ち、違うよ」いつの間にか友人たちが宇宙人と入れ替わっていたことに気づいたかのように、なのはは一歩後退した。「昨日はちゃんと早く寝たもん!」

 なのはは こんらんしている!
 幻聴少女ナルコティックなのは、始まります!

 そんなことが、あった。





・8月31日 火曜日 雨


 八月の最終日である。
 夏休みの終わりということで、恐らく日本の各所で阿鼻叫喚の光景が繰り広げられているであろうこの日、はやてはいつも通りに過ごしていた。学校に通っていない彼女には、宿題もテストもないのだ。
 だからといって勉強していないわけではない。むしろ学校に通っている同世代の小学生たちと比べても、十分に進んでいる。真面目にコツコツと努力できるなら、自学自習は効果が高い。学習ということに限って言えば、はやてに問題などなかった。それでも、最近になって彼女の中には、学校への羨望がわずかながらに生まれてきていた。できたばかりの友人たちが、皆揃って同じ学校の同じクラスに所属することを知っていたからだった。すずか、アリサ、なのはの三人は塾に通っており、そこで学校よりも難しいことを学んでいるという。従って、学校は勉学の場としてよりも、友人と同じカリキュラムを受ける場としての意味を持っているのだろう。それがはやてにとっては魅力的に感じられた。

「まあ、でも、学校通えたとしても、今度はこうやってヴィータをむにむにする時間が減ってしまうもんなぁ」はやてはソファの隣に座ったヴィータの頬をむにむにした。とても気持ちが良い感触だった。

「むー」ヴィータはこちらを見ようともせず、曖昧な抵抗を示す。朝ご飯を食べてからいままで、三時間ほどずっとテレビにしがみついているのだ。

 はやてはペンを取り、闇の書を手招きした。

 ふらふらと漂いながら近寄ってきたそれを開き、ページにペンを走らせる。『どうにかこのかわいい生き物を振り向かせたいです。 はやて』

『耳をガブっと。 sha』ほとんど即答だった。しかも簡潔かつわかりやすい。きっと、むにむにする光景を見ながら予め考えていたのだろう。

「なんと……」はやてはヴォルケンリッター参謀の知略の深遠さに恐れおののいた。『さっそくやってみます。 はやて』書き終えるとにんまり笑って、そっと顔を近づける。「これでどや! ガブー!」

「ホアアアアアアアアアアアアアアアア!!」これはテレビの中の怪人の悲鳴。

「うわぁ!?」ヴィータの叫び声はこちら。彼女は機敏な動きでソファから転がり下り、重心低く身構えた。しかし、すぐにはやての姿を確認して構えを解く。「な、なに……?」

「あまりにも構ってくれへんので拗ねてみました。もうヴィータがおらなダメな身体やから、しばらく放っておかれた後にこうして構ってもらえると……」はやては両腕で自分の体を抱きしめる。「くやしいっ……けどっ……反応しちゃう……ビクビク」

「…………」ヴィータはもの凄く微妙な顔になる。

「あん、怒らんとって。ごめんな、邪魔するために邪魔したんやないんよ」

「や、ぜんぜん怒ってないけど……」

 はやてが手招きすると、ヴィータは元の位置に座り直した。

「というのも、これ見とる途中に、ヴィータにききたいこと思いついたんよ」

 はやてはテレビを指した。その指の延長線を、ヴィータも目で追う。
 画面の中では、追い詰められた怪人が巨大化していた。原色を身に纏うヒーローたちは、それに対抗するためにロボットに乗り込んでいる。
 ロボットと怪人は、税金の結晶ともいえる都市インフラをゴミのように踏み潰し、幾度か攻防を繰り返した。そして、ついに正義の巨大ロボットが必殺技に訴えようとした。

「そう、ききたいんはまさにコレや」

「どれ?」既にヴィータの意識はテレビに戻っていた。声に芯が入っていないのがわかる。

「ヴィータは何か必殺技とかあらへんの?」

 テレビに映っているヒーローたちの、子供だましながらも見事な戦いっぷりを見て、はやてはヴィータの正体を思い出したのだった。
 ヴィータは魔法使い、しかも戦闘に秀でるが故に騎士と呼ばれる存在である。必殺技の一つや二つを期待されても仕方がない肩書きといえよう。
 ワクテカしながら返事を待つはやてに、ヴィータは至極あっさりと答えた。

「あるよ」

「え、ほんまに?」自分できいておきながら、はやてはびっくりする。

「うん、ほんと」

「へぇー、へぇー、へぇー」興味津々で尋ねるはやて。「どんなの? どんなの?」

「ぶん殴る」

「……へ? ぶん殴る?」

「あとアイゼン百倍くらいにでっかくして叩きつぶしたり」

「ちょ、それ相手は大丈夫なん?」

「え?」

「え?」

 テレビの中で、悪の怪人がとどめを刺されて爆散した。
 後にはなにも残らなかった。

「ふぅ、汚ない花火だ」ヴィータは憂鬱そうにため息をついた。「あ、ごめん、はやて、なんの話だっけ? なんかアイゼンがどうとか」

「……ううん、ちゃうんよ」怖いのでなにも聞かなかったことにした。「必殺技とかはなにもきいてないんよ。お昼は何にするかアンケートとっただけなんよ」

「あれ? そうだっけ……」

「そそ。なに食べたい?」

「じゃあカツオの叩きとつぶし豆とか」

「ひぃ!?」

 そんなことが、あった。



【残り176ページ】
【400頁分の蒐集が完了しました。管制人格の起動には主の承認が必要です】
 

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