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戦って、戦って、戦い抜いた。
いまにも潰えそうな地球という星に現れた一人の少年は、瞬くほどに眩しく短い時間で一人の男になった。奇跡があったとするならば、それこそが二度とはない奇跡であった。滅びを目前に控えた人々に希望をもたらした事実など、その軌跡にすぎないといっていい。
しかし忘れるなかれ。奇跡を手にした人間がその代償を支払わなかった結末など、この世界にかつて一度もなかったことを。
大人になった少年――白銀武が手放したものは大きかった。
成長の過程において彼が失ったものは、互いに背中を守りあい、互いに命を預けあうことのできる、血より濃い絆で結ばれた仲間たちの命。腕をもがれ脚を落とされた方が遥かに楽だといいきれる想像を絶する苦しみが、彼を無理やりに高みへと引き上げたのだ。
死が隣人よりも近くに潜むような狂った世界に生き延びた人々は、誰しもが彼と同じ苦痛に追い立てられて大人へとなっていく。
人を鍛えるのは悲劇を金床に振り下ろされる絶望の鉄鎚だ。
叩かれて、叩かれて、それでも諦めずに耐え忍んだ者だけが生きられる世界。そんな地獄に、目を凝らさなければ見ることのできないほど小さく細く、しかし切れることなくたしかに未来へとつながっている希望の糸を紡いだ者がいたのなら、その過去に横たわる苦痛と苦難は、そんな世界においても並大抵のものであるはずがない。
武は地獄から元の平和な世界に帰るために戦っていたはずだった。それがいつからだろう、終わりかけた世界を守るために、世界を守るために戦う仲間たちのために、戦う理由が変わっていた。その理由に支えられた鋼の心は、目の前で仲間を亡くし、最愛の少女の亡骸を腕に抱き、ついには元の世界への帰還が決定したいまになっても、皮肉なことに変わらなかった。
パラポジトロニウム光のカーテンが覆う視界の中、武を見送るのはただ二人のみだ。
誰よりも強かった女性と、
誰よりも成長した少女と。
彼女らを残して去らねばならない自分が、いまは憎い。
まだ終わらない戦いを残して去らねばならない自分が、いまは憎い。
先に逝った者たちに、世界を、人類の未来を託されたというのに、こうして楽にならなければならない自分が、いまは憎い。
眠るのを拒むように、あるいは夢から覚めるのを拒むように、武は痛むほど強く拳を握り歯を食いしばる。
しかし、まるで奇跡は出尽くしたといわんばかりに世界は無情で、
「……さようなら。ガキ臭い救世主さん」
こうして白銀武の戦いは終わった。
A Mere
Fable
それは目覚めの感覚だった。どろりと濁った水中から浮かび上がるように、気だるい意識が鈍く浮上する。
睡眠を快と、覚醒を不快と感じるならば、人体の常態は睡眠時こそがそうなのではないだろうか。そして睡眠時の人体は機能停止状態、すなわち死に最も近いのだと耳にしたことがある。ならば人が生きていることこそが致命的なバグなのかもしれない。否。そのようなはずがない。思い出してみろ。あの命の輝きを。その一つ一つが恒星の如く燃え盛る命の輝きを。
心の持ちようで、目覚めの不快など容易く消し飛ぶ。
まぶた越しに明るさを感じ、武は眼を光に慣らすよう、ゆるりと開いた。
「ここは……」
最初に見たのは、目覚めとセットで記憶されたものとは違う天井だった。
あちらの世界の自室とも、こちらの世界の自室とも、違う。
では、ここはどこなのか―――。
そこまで考えて、武は自分が『あちら』の世界の記憶を保ち続けていることに気がついた。
第一の感情は安堵だった。彼らのことを死ぬまで覚えておくのは、もはや義務であり誇りでもある。
第二の感情は不安だった。帰還した自分が忘れるはずのことを覚えている、すなわち帰還できていないのではないか。
第三の感情は羞恥だった。戦い続けたいと願っておきながら、帰還できなかった可能性を思い不安を得るなど、やはり自分は口だけだったのか。
そして第四の感情が来る前に、武の意識は内から外へと引き出されることになる。
「―――武様」
聞き慣れた声。懐かしい口調。
気遣うように尋ねたのは、武を対等と認め軍人として接した月詠真那ではなく、御剣武に従者として接する月詠真那だった。
―――御剣武。
「……ああ、そうか」体を横たえたままこめかみを押さえ、「――――そういうことだったのか」
声は鉛色だった。
武の中では急速に現状の認識が復帰しつつある。まるで情報が外から流れ込んでくるかのようだ。しかし、それは同時に絶望が流れ込んでくるということだった。
現在、武の姓は御剣である。
数年前のある日、まだ学生だった武の前に突然現れた双子の姉妹がいた。その片割れこそが、いまの妻だ。
ぬるま湯のように平穏な日常のすべてを捨て去り、武は一人の少女を選んだのだ。
通っていた学校から、住み続けた家から、そして半身に等しい幼馴染から離れ、愛しい女性を手に入れた。
後悔はない。自ら望み、また今日まで逃げ出すことなく耐えてきた道だ。心に決めた人が隣を共に歩いてくれるから、きっとどこまでも行ける。そんな確信がある。
しかし、いまだけはその確信が『あった』ということにしたかった。
上半身を持ち上げる。心配そうに、しかし決して失礼にはならないようにこちらの顔を覗き込む真那と目が合う。彼女の表情から察するに、いまの自分の顔はとても見れたものではないのだろう、と武は考えた。
いや、考えるまでもない。最悪な気分が溢れ出して顔にも出ているはずだ。
それでも軽く首を振って、心配ない、と伝えた。
さらに続けて、
「それから、このプロジェクトは即時凍結をお願いします。体験して感じた問題点はあとで挙げます。それが解決するまでは、完全に停止してください」
そういい残し、武は部屋を去った。
顔色は悪く、足取りは怪しく、真那が肩を貸すといったが、それも断った。
一人になりたかった。
自分の部屋に戻り、武は自分の浅はかさに泣いた。
すべてがまったくの作り話だったのだ。
■
武が『それ』に出会ったのは、彼がまだ白稜大学付属柊学園に籍を置いていた頃の話である。
悠陽と冥夜が現れたり、社霞が現れたり、さらには海外の諜報員たちが教師の蓑を被って学園に潜入してきたり。
サバイバルゲームでエキサイトしたり、全裸で人質にされたり、幻の左が炸裂したり。
確固たる己の意思で捨てたものであるから決して過去に浸ったりするまいと決めてはいるものの、目をつむれば、武はいまでもあの時代の色鮮やかな光景を思い浮かべることができる。その中でもひときわ印象に残った出来事の一つに、『それ』との出会いが含まれている。
当時の仮名を『セルシウス・リゾートIS』という、御剣のリゾート開発部門によって開発されていたリゾート施設。年末も近い真冬であるというのに、武たちはその南の島で夏よりも夏らしい理想の環境を楽しんでいた。
皆がそこへと招待されたきっかけは霞が海を見たいといったことであったが、それぞれが各々のやり方で最高の休暇を満喫していた。当然、霞も貝を拾い集めて満足げな顔を見せ、武も武で世の男が羨んでやまない環境で冬の中の夏を楽しんだ。
出会いはいつも唐突だ。
青空の下でのビーチバレーをした日の食後だった。疲れ気味の武を見た真那が、武にとあるリラクゼーション用の装置を紹介する。
『それ』との出会いである。
武が案内された先に待ち受けていたのは、脳科学の最先端技術を用いた装置であった。外から与えられた情報と装置を利用する人間の脳が保有する情報とを上手く利用することで、望む未来を限りなく現実に近い夢のような形で使用者に体感させる、人類の科学がたどり着いた一つの終着点。
装置の使用後、武はその頭抜けた効果に恐怖にも似た感情を覚えたが、同時に娯楽への転用の可能性を図らずとも提案することになる。
それから数年がたった現在、武が主導するプロジェクトのひな型が、まさにそれだった。
当時より脳の仕組みの解明も進み、装置の完成度は当初の想定を大きく超えた。その中でも特に娯楽産業へと用途を絞ったものが武の手の中で進化を遂げ、今日に至る。武が初めて体験したときのように、事後になってなにを経験したか忘れることもなくなった。
きっかけすら思い出せないちょっとした思い付きだった。
『人類に敵対的な地球外起源種により地球人類は滅亡寸前である』という情報を装置のデータベースに与え、わけのわからないままその中に放り込まれるというシミュレーションを行った。唐突に異世界から現れた主人公が才能を発揮し活躍、最終的に人類に希望をもたらす。どこにでもある安っぽくも滅びないエンタテインメントの典型的な題材である。
それが間違いだった。
現実時間にしてわずか数百分。たったそれだけの時間で、武は数ヶ月を体感していた。それも楽しい時間ではなく、一度心を粉々に打ち砕いてから作り直すような過酷な経験だ。
なるほど。軍事訓練用に欲しいと某国からオファーが来ているのも頷ける。
体を鍛えることはできないが、心を鍛えることはできる。それは、体を壊すことはできないが、心を壊すことはできるということに等しい。
わかっていたのに、わかっていなかったのだ。
これでは確かに『ガキ臭い』で違いない。
あの機械は人の命を軽くする。
それこそ00ユニットと同じだ。倫理を踏みにじり人の道に唾吐く覚悟がない人間が使っていい装置ではない。
自分はもう、この世界ではまともな人生を送れないだろう。
そんな予感が、武の胸の内にはあった。
■
人が変わった。以前の武を知る者であれば、誰もが異口同音にそう評した。
それは三人のバカにしても二人の月詠にしてもそうであるし、悠陽や冥夜であればいうまでもない。近しい者であればあるほど、その変化は顕著に見えた。
最も目につく変化は、瞳だった。武道を嗜む過程で厳しい精神の鍛錬もこなした御剣の双子ですら気圧されることがあるほど強い瞳。彼女らは、それぞれ己の師の瞳に同じ色を見た覚えがある。いったい何が起きれば一晩でそのような目を獲得できるのか、二人には検討もつかなかった。
さらに、目の厳しさを追うように体つきが変わった。まるで何かに追い立てられるかのように武は己の肉体を鍛えた。余人の目には、鍛練を通り越しもはや苦痛を与えることを目的としているようにも見える。疲労で動かない身体を精神で無理に動かすその拷問は、しかし確実に彼の肉体を強靭なものに仕立て上げていた。更には御剣の擁する警護隊の訓練にも参加するようになり、そのときになってようやく御剣姉妹が力ずくで止めに入ったのだった。
呼び寄せた専門医の診断ではPTSD、それも戦争から帰ってきた兵士のそれに近いものがあるという。しかし武にその自覚はなかった。『むこう』の世界では、正常な精神状態を保っていられる兵士こそが異常だったのだから。武が誰よりも尊敬し恩を感じている神宮司軍曹にしても、共に戦場を駆け抜けたA-01の戦友たちにしても、心のどこかを病んでいたはずだ。そうでなくては生きていけない世界だ。彼らはいうなれば『軍人』という病気であった。あるいは『生きている』という不治の病だったのかもしれない。
結局、それまで力を入れてきた娯楽関連には見向きもしなくなっていたこの時期の武は、強制的に療養を取らされることになる。
御剣の専用の施設でゆっくりと心と体を休めることができるように、最高の環境が整えられた。しかし、それはむしろ逆に彼の心を圧迫することになった。
目覚めは常に、戦車級に装甲を食い破られ、あるいは要塞級の強酸に体を焼かれる衛士が助けを求める声による。彼らを助けに向かうための噴射跳躍の圧迫に耐えようと姿勢を整えたところでいつも目が覚める。耳の奥には悲鳴が棲んでいた。背中には戦えと唱え続ける英霊たちが圧し掛かっていた。
医師の診断に間違いがあるのは明らかだった。
武は戦いが恐ろしいのではない。
戦えないのが恐ろしいのだ。
だがそれは彼以外の誰にも理解できない心境であり、ゆえに彼の病が解消することはなかった。
やがて武は療養施設を抜け出すようになる。どこぞの諜報員のように段ボールを使って華麗に脱走を果たし、捜索隊に確保される前に自分から戻ってくる、ということを繰り返すうちに、その行き先が常に同じ場所であることも判明する。
柊町だ。
正確には、彼の生家。あるいはその隣家の住人に会いに。
『むこう』の世界で鏡純夏を愛した白銀武と『こちら』の世界で御剣の家に入った白銀武の境界が曖昧になっていた。
そして最悪の事態が間もなく起きる。
妻ではなく幼馴染の女性に、武の子供ができたのだ。
ここにきて、状況はもう後戻りできないところまで行き着いてしまっていた。
■
「―――ってことを考えてたんだ」
「…………」純夏は唖然としつつ沈黙。
「…………」悠陽は何か考えるよう目を伏せて沈黙。
「…………」冥夜は何か考えるように遠い目で沈黙。
「…………」慧はニヤリと笑いつつ沈黙。
「…………」千鶴はメガネを光らせながら沈黙。
「…………」壬姫は苦笑いしながら沈黙。
「…………」美琴は能天気に笑いながら沈黙。
「…………」霞は目を見開きながらも沈黙。
柏木? やつはとっくに教室を出ている。
長々とした語りを終え、しかし帰って来たのがこの反応で、わかっていたことであるとはいえ武は後悔した。
「テスト中にそんなこと考えてたなんて、タケルちゃんサイテー」
「おまえたちが喋れっていったんだろうが!」
ビシィッ、と純夏の額に武のチョップが入った。
「あいたーッ!?」
「純夏のくせに生意気いうからだ」
「大体なんでわたしがタケルちゃんの浮気相手なのさー!」
「知るか! 考えてるうちにそうなったんだよ。なんかそんな顔してるんじゃないのか?」
「そんな顔ってどんな顔だー!」
そこにあるのは見事なオグラグッティ顔だった。しかし残念ながら武に鏡を持ち歩く習慣はなかったので、純夏に見せてやることはできなかった。
ふくれっ面で不満を連ねる純夏を意識の外に放り出し、武は冥夜に向く。
「すまん、オレに思いつくあの装置の危険性はこの程度だった」
「……い、いや。非常に危険性が高いということは理解できた。この件については確かに月詠に伝えておこう。―――ところでタケル、その、いまの物語の主人公は御剣武といったが……」
「ん? それがどうかしたか?」
彼女にしては珍しく歯切れの悪い調子で言葉尻を濁す冥夜。武が尋ね返すも、どう切り出したらいいのかわからないといった風に言葉の頭を左右させる。
それを見てとった姉が笑みを―――武には冥夜を牽制するためのものに見えた―――を浮かべ、
「冥夜が聞きたいのは、その物語の中で武様を御剣にしたのはどちらの御剣なのか、ということでしょう」
悠陽……恐ろしい子!
一瞬で出来た地獄めいた空気に武は竦み上がった。こんな空気を作る人には全然痺れないし憧れない。ただただ畏敬の念が浮かぶのみである。
勝手に睨み合いならぬ微笑み合いを始めた竜虎をまたもや放り出した武は、今度は千鶴に話しかけられた。
「ところで白銀君、試験の方は大丈夫だったの?」
「物理はちょうど悠陽に教えてもらったところが出たからたぶん大丈夫だと思うけど」
「英語は?」
武はガクガクと震え始めた。そして唐突にピタリと止まる。
「英語などクソくらえ、繰り返す、英語などクソくらえ」
「神宮司先生もお気の毒に……」
はぁ、とため息をつくも、千鶴にとっては他人事である。まりもと夕呼が最後の期末試験で武の点数を対象に賭けをしても見て見ぬふりができる柔軟さを、彼女は卒業間近の最近になって手に入れていた。
「それじゃあ私はもう行くわ」
「委員長は部活か?」
「そうよ」
こんな時期にまで、と思わなくもないが、口には出さないでおいた。
弱小のラクロス部はどうにか来年度も存続できるようになったらしい。とうに引き継ぎは終わっているが、千鶴は今日までその活動に関わり続けていた。それをいまさら止めたりできないからこその彼女なのだ。
そうして千鶴はあっさりと場を離れていった。
あのクールさ、いまの御剣姉妹に欲しいな。
武はそんなことを思いつつ、次は―――と、新たなる獲物を探していたところ、霞と目が合った。瞬間、霞はうさぎみたいに目を丸くして驚いたが、すぐに近づいてきた。
「白銀さん……」
「おう。霞は試験、大丈夫だったか?」
この社霞、なにを隠そう学年で最強の一人として恐れられる飛び級少女である。武の心配など、そこらの犬の一吠え程度にも役に立たないことは明らかだ。
霞は当然のように頷き無意識のうちに武を凹ませ、それから話を切り出した。
「先ほどの話ですが……」
「ああ、あれなぁ……試験の答案が返ってくる前に結果が見えちまって、そのせいで考える物語まで妙に湿っぽくなったんだ。嫌な気分にさせたなら悪かったよ。でもちゃんと宇宙人の名前は英語で考えて単語の頭文字を並べてみたり、それぞれ役割の違う種類まで作ったんだぞ。なかなか凝ってるだろ?」
「いえ、そうではなくて」
「……?」
じっとのぞき込むよう、確かめるよう、霞は武の瞳を覗き込む。
相変わらず互いに身動きが取れない双子の隣で、こちらは謎のにらめっこ状態な武と霞だった。
その安定を破ったのは、霞本人。
「もし本当にそのような世界から帰って来た人がいたとして、その人は記憶がある方がいいと思いますか?」
「―――どうだろうな。忘れた方が幸せだといえば幸せなんじゃないか? 記憶があったなら、本当にオレが話したようなことになるかもしれないだろ。……いや、でも忘れたら忘れたで誰かに怒られそうだ」
「…………きっと誰も怒りません」
「そっか。じゃあ記憶がなくてもいいだろ。頑張ったご褒美に、そいつは幸せになればいい」
「はい。私も……そう思います。ですから白銀さんは、幸せになってください」
「オレが? でもオレはいまでも結構楽しいし、そもそもあんまり頑張ってないからなぁ……。それにしても、急にどうしたんだ霞?」
やけに絡んでくる、もとい真剣に問いかけてくる霞に、武は首をかしげた。普段はこれほど強く答えを求めてくることはない。
そんなに試験中の暇つぶしに考えた物語が興味を引いたのか、それともはたまた別の理由があるのか。
もし前者なら、そのストーリーを基になにか作ってみるか、などと絶対に実行されない予定を立てていると、
「後の鬼畜人である」
「え? あの島にいるのは反重力生命じゃなかったっけ?」
慧と美琴。
二人が口にした言葉の意味は全くわからないが、話が噛み合っていないであろうことだけは武にもわかった。
そもそも美琴と誰かとの会話が噛み合うことは稀である。そこに思考の読めない慧を加えれば鉄板で、毎日雨と表示しておけばとりあえず高確率で的中する某地方の冬の天気予報のようなものだ。
「ま、いいか。とにかくオレの話をちゃんと聞いてくれたのは霞だけだったってことだ。というわけで、ここは一つ、なんでもいうことを聞いてやろう」
武は数少ない味方を確実に引き止めるため、懐柔工作に出る。
そこに猫のように滑り込んだのは壬姫だった。
「あ、たけるさん、わたしも聞いてましたよ~」
「そうかそうか。よし、じゃあたまの願いも聞いてやろう」
「……私も聞いてた」
さらに強引に割り込んだのが慧で、
「え? やだなー、慧さんはずっとボクとウホイイオトコ島について話してたじゃない」
「……だが待ってほしい。人には耳が二つある」
だから二つの話を同時に聞ける、と当然のようにいう。それはもう堂々たる態度でたわわに実った胸を張り、その胸がたまたま武の腕に強く押しつけられたので、
「そうかそうか。よし、じゃあ彩峰の願いも聞いてやろう」
「ヤキソ―――」
慧がいい切るまえに、ほとんどシェンロン状態だった武は崩れ落ちた。背後から頭をガブ、ではなくゴッ、とドリルでミルキィな拳がめり込んだのが原因だった。
三年生最後、すなわち柊学園で最後の試験を終えたその日は、そんな感じでいつも通りに過ぎていく。
白銀武がすべてに決着をつけるのはまだもう少し先の話であるようだし。
恨みっこなしを誓った淑女同盟に参加しなかったまりもが恐るべき伏兵と化すか否かもまだわからないけれど。
この先約束されたまあ概ね幸せな未来が、どこかの世界でとてもとても頑張った彼の手にした報酬なのだった。
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