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-7-


◆◇◆

 ベッドの上で目覚める者は幸いである。
 嗅ぎなれないにおいの部屋で目が覚めたが、混乱はなかった。内装から判断するに、ここはどこかの病室だろう。
 もともと怪しいものであることが判明しているものの、認識できる範囲において記憶に混濁はない。ビル内でのことについては、意識を失うまでの流れを鮮明に覚えている。
「……そうか。助け出されたのか」
 どうやら賭けには勝ったらしい。いま生きているということは、そういうことだ。となると、ここは管理局関係の施設なのかもしれない。
 自分はどのくらい寝ていたのだろう。窓の外は明るいが、まさか数時間ということはないと思う。
 煙を吸い込み、のどに酷い痛みを感じたのを覚えているが、その痛みももう残っていない。手足を見ても、傷一つ残っていない。しかし医療の発達した世界だ。ケガの治癒を経過時間のバロメーターにするのはあまりにも信頼性に欠ける。
 ぐう、と腹の虫が鳴いた。
 どうやら自分は空腹であるらしい。それを感じないのは、行き過ぎているからだ。この世界で目覚めて最初の数日、"グループ"に拾われるまでにも、似たような感覚に襲われたことがある。
 しかし、起き上がり食料を探すのも面倒だ。
 気だるさに身を任せ、再び体の力を抜く。
 もう少し眠ろう。



 次に目を覚ましたのは、枕元で人の話し声がしたからだった。窓の外から差す眩しい茜色が、いまが夕方であることを示している。
 手でひさしを作りながら、首を動かす。
「あ、目が―――」
 初めて聞く声、、、、、、。だというのに、それがティアナ・ランスターのものであると知っている、、、、、
 視界に入った顔が、フェイト・テスタロッサとティアナ・ランスターのものであると知っている、、、、、
 まずはどのように声をかけようか。思案していると、先手を打たれた。
「おはよう。はじめまして」
 フェイトが屈み、目の高さをこちらに合わせてから、柔らかい笑みを浮かべて言った。
 夕日に輝く金の髪。大きな赤い瞳。白い肌。長い睫。……ちょっと震えが走るくらい美人だ。だというのに、それを目の前にして生起するはずの男としての感情が浮かんでこない。
 廃ビルに住んでいた頃、マラネロと同じベッドで寝て感じたことでもあったが、この美貌を前にした自分が無反応でいることから、ようやく強く実感できた。ああいう感情は、どうにも体に依存するものらしい。大きい胸を見て大きいなあ、としか思わなくなったことにわずかに落ち込む自分と、当然だと納得する自分とがいる。
「おはようございます」
 とりあえず久方ぶりの幼女口調を駆使して挨拶しておいた。最後には全部ゲロるつもりでいるが、まだ確信が持てないから、それまでは中身については黙っておく方針でいこう。そこまで考えて、思い改める。
 ……助けられておいてその対応は、あまりにも不義理にすぎるか。
 少々迷う。話してしまった方が、裏付けを取るのも楽になるだろうことは間違いない。インテグラや王冠といったマトモではない連中相手に使うタメ口でなければ大丈夫だろう。
 方針の転換までわずか数秒という風見鶏っぷりを発揮して、よいしょ、と上半身を持ち上げる。
「はじめまして」息を吐き出すように言い、一度頭を下げる。「自分とインテグラ・イイオトコとの関係についてですか?」
「――――」
 息をのむ気配。
 表に現れた驚きは、フェイトの方が大きかった。それは、より正確に事態を把握しているということなのだろう。
「まさか」
「恐らくは、あなたの思う通りかと。けれども自分だけでは確信を持てない部分があるので、それを確かめるために、一つだけお願いがあるのですが―――」



 それからの数日は、随分ゆっくりと時間が流れた。
 例の執務官、執務官補トリオの誰かがほぼ毎日様子を見にやって来るので、病院生活も退屈はしない。あまり美味しくない食事を取り、本を読み、眠くなれば寝る。そんな生活の中で、いつの間にか、彼女らと会話を交わすその時間が楽しみになってすらいた。一時的な身元引受人にもなってくれたフェイトには、もう足を向けて寝られないだろう。
 また、それらが理由というわけでもないが、時おり行われる事情聴取にも素直に回答することに決めていた。
 尋ねられることは、主に二つ。おれが最初に目覚めた施設について。逃亡したインテグラ・イイオトコについて。
 前者に関しては、答えられることはほとんどない。しかし後者については、いまだ確信が持てぬことも含め、語るべきは多かった。
「……というか、あの状況で逃げられるっていうのが凄まじい話だよなあ」
 独り言のクセは抜けない。もともと独り言ではなかったものが、話しかける相手がいなくなり、独り言になったのだ。
 王冠。数週間という時間を共にしたデバイスは、管理局本局の技術部で検査を受けているそうだ。そして、このことについて尋ねられたときは逆に驚いたのだが、あいつは古代ベルカのユニゾンデバイスだったらしい。骨董品は骨董品でも、そこらに埋まっている化石ではなく、大事に大事に保存された最高級のアンティークだったということだ。ちなみにそのアンティーク、たった一度の融合で、現代の技術では修復できない欠損が生まれたらしく、このままでは恐らくは二度と融合騎としては機能できないだろうと聞かされている。もう一度会いたいものだが、それはまだもう少し先のことになりそうだ。独り言のクセが抜ける前に会えることを祈る。
 そしてインテグラ・イイオトコ。こちらについては、なんというべきか……。
 こちらも聞いた話。逃げる直前のインテグラが対峙していたのは、おれの体を動かす王冠――なんかよく知らないけれどSランク近くまでパワーアップしていたらしい――にフェイトという、世にも恐ろしい二人組だったそうだ。そんな危機的状況にあった凶悪犯罪者は、あらかじめ準備されていた大がかりな転送魔法を、ティアナを人質にしたまま発動し、あろうことか結界内に移動した。無理をすれば、強引に結界から脱出できたというのに、だ。そして管理局が反応をロストしている間に局員に変身し、重傷を負った武装局員として当然のように病院に運び込まれ、いつの間にか姿を消していたという。
 まったく、どこの怪盗なのか。
 バカバカしすぎる思考をまっとうな局員ではトレースできないのが、ヤツの強さの秘訣なのかもしれない。もしくは王冠の要求に従い行ったという、幻術でのパフォーマンス。その、つまらないギャグを繰り返す芸人みたいな空気の読めなさが、強いのか。
 ……まあ、何にしても彼らとの関わりは一時的に切れている。考えることは無駄ではないが、考えすぎるのも問題だ。たとえば、そう、そろそろ迎えに来てくれるはずの執務官組に雑な対応をするわけにはいかないのだ。
「偉い偉い」
 と、準備を済ませて待っていたおれの頭を撫でるのはシャリオ・フィニーノことシャーリー。いや、逆だ。シャーリーことシャリオ・フィニーノ執務官補佐。彼女、ニコニコしながら子供扱い――冗談なのだという共通認識は勿論ある――してくる人なのだが、引き際の見極めが鮮やかなので、追手を差し向けるのも面倒になってしまい、結果、子供扱いが進むという悪循環に陥っている。何が恐ろしいかといえば、意識しなければそれを悪循環だと思わないところが恐ろしい。
「さて。それじゃあ行こっか?」
「はい。まずは打ち合わせということで変わりは?」
 さりげなく手を取ろうとするので、するりと避けてから質問する。
「うん、変わりないよ。まずはみんなで作戦を練って、それからだね」
 病院を出て、表に止めてあった自動車の後部座席に、挨拶しながら座る。魔導師二人のデバイスも返事をくれたのが、毎度のことながら少し面白い。
 運転席にフェイト。助手席にティアナ。この構図を見るだけで、ティアナが生真面目に運転役を買って出て、フェイトがいやいや自分がするから大丈夫だよ、いえ私が、いやいや私が、というやり取りの後、最終的に上司が勝利をその手につかむところまで想像できてしまった。
 若くして社会に出て人々のために働く人間は、やはり良くできているということだ。主観年齢は同年代、あるいは彼女らの方がわずかに年下だというのに、非常に大きな差があるのは間違いない。おれが彼女らに感じる気後れは、不登校児童が下校時刻に出歩きたくないのと似ているかもしれない……などというと、不謹慎か。行きたくても行けないのと、単純に怠けて働かないのとは、大きく違う。
 そういうわけで、おれも更生というか社会人としての第一歩というか、とにかく世のため人のためになることをしてみようと思ったわけで、これから行うことが、その第一歩。



 思ったよりも簡単に、こちらの要求は通っていた。要求―――フェイトやティアナと出会った日に頼んでおいたことである。
 管理局史上に名が残るほどの重犯罪者であるから、言葉を交わすことでさえ難しいと思い込んでいたのだが、ダメ元で頼んでみてよかった。軌道拘置所に入っている犯罪者に関しては、事情聴取も一時裁判も通信で行われるのだそうだ。直接会ってそれらを行うよりもよほど安全であり、脱獄の心配もほとんどないことから、ある意味では逆に顔を合わせやすいともいえる、とのこと。
 そう。現状において、広大な次元世界で最も人間という生物に詳しいと思われる一人、ジェイル・スカリエッティ博士との面会が、おれの望んだことであった。
 ほとんどすべての問いかけに対して頑なに口をつぐむ彼であるが、おれならばあるいは興味を引けるかもしれない。そのようなあざとい考えもあり、子供を使うことを嫌がるフェイトらをどうにか押し切り、直接会話するチャンスを得た。そして、それが実現する瞬間は刻一刻と近づいてきていた。
 実はこれ、前から楽しみにしていたので、モニタが展開される前からそわそわしてしまう。椅子に座り、床に届かない足をぶらぶら揺らしていると、それを不安と取ったフェイトが心配そうな視線をよこす。一方、通信の準備を行ってくれているシャーリーは、ちらりと目を向けて、人好きのする笑みを浮かべた。とても目がいい。
「……よし、準備完了。コロナ。そっちはどう?」
 フェイトを介さず直接訪ねられたので、無言で頷きを返す。同じく無言の頷きが返ってきた。
「それじゃあ回線、開きます」
 空間モニタが展開される。手錠をはめられた男がベッドに腰掛けて、モニタの中からこちらを見ていた。
「―――おや。これはこれは。聖王の器ともあろう方が、この私に何の用かな?」
 映し出された金色の瞳が、要件を問うた。それには答えず、しばらく観察する。観察し合う。といっても、彼にはおれについての情報が何一つ――ヴィヴィオとは別人として存在することさえも――教えられていないので、いま目の前にあるのは、ヴィヴィオに対する態度である。したがって、それほどの興味は向けられていないはず。
 こちらを眺める彼の視線には囚人の卑屈さがまるでない。精神力の問題ではなく、認識の仕方に原因があるのだろうと勝手に想像した。
 十秒と少しの無言を、こちらから破る。
「……はじめまして。ジェイル・スカリエッティ博士。今日はJS事件には特に関係のないことをいくつかお尋ねしたと思い、この場を用意していただいたわけですが―――」
 スカリエッティの、おや? といった表情がすぐさま理解の笑みへと変わる。反応が恐ろしく早い。その反応速度は、この瞬間にゼロから組み立てた推論によるものではなく、元から仮説を持っていたから実現したものなのだろう。そして、彼がその仮説をあらかじめ持っていたということは、つまり、おれの聞きたいことはほとんどわかったと言ってもいい。
 なので、本題はちょっと横に置いておくことにしよう。
「用意していただいたわけですが―――、まあ、それは後回しでいいか。…………牢獄の中、暇じゃないか?」
 いきなり予定と違うことを尋ねるおれに、管理局トリオから視線が集まる。いや、この目は口調に関する驚きかもしれない。今までずっと綺麗な言葉で通してきたのだ。
 どちらにせよ本当に申し訳ない上に、世のため人のためと決意した直後に自分のための行動をしてしまったあたり、非常に情けない。が、モニタの向こうの博士が笑ってくれたのでよしとする。
「なに。構想を練るだけであれば、どこでもできるさ。それにここは意外と快適でね。悪くない」
「ふーん……」
 要するに暇だということか。言いかえれば、構想を練るくらいしかすることがない、と。
 いつかインテグラのやつをこういう所にブチ込んでやりたい。人生の目標が一つ増えた。
「なにか欲しいものとかあれば、差し入れとか―――」
 一度、この場で最も権限を持つフェイトに目を向ける。頷きが返ってくる。
「してもいいけど? どういうジャンルが好きか教えてもらえれば、ちゃんとそういうのも……ああ、でも一日中監視カメラが回っているのか。露出プレイになるよなあ。実際、そういうのはどうしているんだ? もしかして見せつけて喜ぶタイプ? バナナとサクランボどっちが好き?」
 スカリエッティは、のどの奥で笑う。くつくつ、と。
 こういう会話にも付き合ってくれるらしい。……好きなのか? いや、しゃべっているのがおれだからか。飽きられたら終わる。芸人みたいだ。
「人間もまた、動物であることは否定しないがね。しかし、人間には脳の性欲とでもいうべき欲求がある。君の心配することではない」
「構想を練ることしかできないような空間で、知識欲を脳の性欲と呼んでしまう人間、と……」
 一日中自慰しているようなものか。実のところJS事件の時と大して変わらないのではなかろうか。
「まあいいや。ところであんた、犯罪者もまた犯罪の被害者である、という状況についてどう思う?」
「ふむ。事件については関係のないこと、と最初に宣言した以上、私自身について尋ねているわけではないね。……つまり、君がそうなのかね?」
「……なんでそんなに嬉しそうなんだ? いや、違う。おれじゃない。まあ、似たようなものなんだけど。インテグラ・イイオトコって知っていたりする?」
 スカリエッティはわざわざ考えるような仕草をしてから、いかにもいま思い出したとばかりに頷く。
「―――名前だけならば聞いたことがある」
「へえ……、本当に有名人だったんだな。―――それで、なんというか、イイオトコにも関係する話、なのかな? それについてあんたに聞きたいことがあるんだが」
「ようやく本題かね? よかろう。言ってみるといい」
「どうも」姿勢を正す。「今日あなたに聞きに来たのは、生命操作技術の中でも特に記憶という分野についてです」
「プロジェクトF関係ということかい?」
「いえ、正直に言って、それに関係することなのかどうかもわからない、というのが現状で。プロジェクトFというのは、記憶転写クローンによる同一人物の製造……誕生が目的なわけですよね? つまり、オリジナルそのままを再現する」
「ああ、なるほど。つまり、記憶転写によらない記憶、オリジナルのない、ゼロから組み上げられた記憶が存在するかどうかを知りたいということかい?」
 何なんだ、この人。やたらと察しがいい。敢えて半分くらい見なかったフリをしてほしいものだ。でないと、相手をしていて疲れてしまう。
 そして始まる"教えてスカリエッティ先生"のコーナー。
「その話を始める前に、まず前提として知っておくべきは、あらゆる生命操作技術は人間の限界を超えることを目的としている、ということだ。これは努力では突破できない、純粋に人間を一つの機構と捉えた際の、物理的な限界、という意味でね。たとえば戦闘機人や人造魔導師は、戦闘能力という分野に関しての限界を突破したいという欲望に後押しされている。誰が後押ししたのかは、言うまでもないがね」
 視線がこちらから逸れる。最後の言葉は、向こうのモニタには映っていないはずのフェイトに向けたつもりらしい。先ほどおれは、差し入れについてフェイトに尋ねていた。その時の目線を追ったのだろう。
 金の目がこちらに戻る。
「プロジェクトFも?」
「もちろん。同一人物の複製は、ただの結果さ。"他人の記憶は学習できない"という不可能を崩す記憶の研究と、クローン技術とを組み合わせることが、同一人物を複製したいという欲望を満たすのにちょうどよかった。所詮はその程度のこと。
 そして、君の聞きたがっている記憶というものについてだが、これは学習という現象と密接な関わりがある。そう、先のたとえを用いれば、学習という欲望を満たすためには、記憶の研究により判明した成果を用いるのが都合がいい、といったところか」
 スカリエッティは一度言葉を止める。両腕を掲げ、手首に嵌った枷を見せる。
「こと学習という分野についていえば、挑むべき枷は二つあってね。時間と記憶容量が、それに当たる。前者は、一生涯を学習に充てても辿りつけない領域が存在すること、すなわち寿命の問題。それを解決すると、次は後者、すなわち脳の容量の問題が立ち塞がるだろうが、まあ、こちらは現状では特に触れる必要もない。
 さて、時間に関する問題に挑むには、大きく分けて二つのアプローチが存在する。一つは、単純に個体の寿命を延ばすこと。もう一つは、学習効率を上げること。記憶に関する研究は、捉え方によっては前者、後者のどちらにも含まれる。新しい体に既存の記憶を焼き付け、これを以前の個体と同一視するか否かという問題だ。同一視するなら個体の寿命を引き延ばしたといえるし、しないなら生まれたばかりなのに学習済みである、すなわち学習過程を省き最高の学習効率を実現したといえる。もっとも、もはや両者を切り離して考えることは無意味であるともいえるがね」
「プロジェクトFは明らかに寿命を延ばすという考え方を強調……突き詰めたものですね。なるほど。概要については、大体わかりました。具体的な操作方法や専門用語などが一切含まれていないのがいい」
「サルでもわかるように話したつもりだからね。わかってもらえなければ困る」
 酷いことをおっしゃる。
「いや……、もしかして今の話を理解できるサルを扱ったことが?」
 不気味な笑みが返事だった。
「さて、それではようやく前提の確認が終わったところで本題に入りたいのだが……、その前に、今の君の状態について、詳しい情報がほしい」
「ええと……、それは餓死しそうだから食料が必要という意味で? それともティータイムに茶菓子が欲しいという意味ですか?」
「どちらでも大差ないと思うがね。餓死すれば話すことはできないし、茶菓子が出なければ機嫌を損ねて口を閉ざすかもしれない」
 そういうわけで、あまり喋りたくないことをずるずると引き出されることになった。



「簡潔に言って、自分はこの世界を現実だと認識していません」
「……」
 先を促す無言に従い、続ける。
「もちろん、それでは簡潔すぎて語弊があるかもしれません。なのでもう少し詳しく言いますと、自分はこの世界をアニメ作品の世界だと認識しています。つまり、朝目が覚めたらアニメの世界にいた、と」
 噴いた! スカリエッティ先生が噴き出した……ッ!
 肩を震わせて笑っておられる稀代の天才。人が嫌々切り出したというのにこういう反応をされるのはとても腹が立つのだが、ここは我慢だ。
 そうして我慢すること十秒、ようやく落ち着いたスカリエッティは、しかし口元の緩みを残したまま言った。
「残念だが、君は元の世界には帰れないだろうね。そも、存在しない世界に帰れるはずがないのだが」
「ですよねー」
 そういうわけで、やっぱりおれは"現実やじるしアニメ"なんて現象に巻き込まれたわけではなかったようだ。
 まあ、常識的に考えればアニメの世界に入れるわけがない。アニメに入ったと思い込んでいる人間がいれば、それは夢を見ているか妄想をしているかのどちらかだ。あるいはトラックに轢かれて昏睡状態にでもなっているのだろう。さっさと目覚めて現実に帰ってしまえ。妬ましい。
 こうして、この世界におけるそっち方面の権威にお墨付きを貰ったことで、黒に限りなく近かったグレーは見事な真っ黒になった。
 ちなみにおれが記憶している魔法少女のアニメは全四期で、

 第一期:高町なのはとフェイトの出会い、PT事件の解決。
 第二期:なのはたちとヴォルケンリッター、八神はやての出会い、闇の書事件の解決。
 第三期:高町なのはの被撃墜と負った重症、そこからの再起、彼女の周囲の人間模様。
 第四期:高町なのはや起動六課での日々、JS事件の解決。

 以上であるが、まあ、それはどうでもいいことだ。
 ……と思ったら、あまりどうでもいいことではなかったらしい。
 結局、覚えている限りのアニメの内容についても話をさせられ、聞き終えたジェイルさんが一言。大方理解できた、と。
「君の言うアニメ―――」笑う。「失礼、アニメは高町なのはを主人公とし、彼女を中心とした環境を描いている。つまり、君の記憶のソースは、高町なのはの周辺を常に見ることができた存在のものに限られる。しかも、その情報が本人……から写し取られたことが不自然ではない存在。だとすれば、それが誰のものであるかは明らかだろう」
 エレベーターの中のような不自然な沈黙が生まれる。
 モニタのこちら側、フェイト、ティアナ、シャーリー、おれの四人の中で、最初に答えに至ったのは、シャーリーだった。
「―――まさか」
 それは悲鳴じみた声だった。
 口元を手で覆う仕草は、叫び声を抑え込むためだったのか。それでも声が、指先が、震えている。
 その声を心地よさそうに聞きながら、スカリエッティが告げた。
「そう。彼女のデバイスの記憶だよ。そして、そうであるならば彼女のデバイスだけであるはずがない。当然、彼女の周囲の人間が所持するインテリジェントデバイスの記憶も外へと持ち出され、どう考えても余興としか思えない研究――というのもおこがましい、娯楽というのが適切だ――に用いられ、哀れな犠牲者を作る手伝いをしていたということさ。―――さて。ここまで聞いて、気分はどうかね? フェイト・T・ハラオウン執務官」



 素晴らしい名探偵っぷりを発揮したジェイルさんであったが、それで興味が失せてしまったのか、返事をしてくれなくなった。そういうわけで、この場もそろそろお開きだ。
 そしてこちらは意地悪な博士に苛められて顔面蒼白な執務官組であったが、肝心の犠牲者であるおれは、不思議なことにそれほど衝撃を受けていなかった。もともと覚悟ができていたし、もう"この世界"に慣れつつあったからだろう。それに、帰りたいと思うほど"元の世界"の記憶がないのも原因の一つに違いない。
「最後だし、一つ聞いていい?」
「…………」
 促す無言ではなく単に無視されているだけなのだが、気づかないフリをして尋ねる。
「あんた、どうして自分を量産しなかったんだ?」
 興味がひけたようだ。こちらを向いてくれた。
 金色の瞳だけが、チェシャ猫みたいにニヤニヤ笑っている。
「―――恐らくは君の思う通りだろう。そもそも、それを問うということは、既に君の中で結論が出ているのではないかな? あるいはほとんど確信に近い仮説か。そう、仮説を持たない者は何も考えないし、何も観察しないのだから。そして、その仮説は恐らく正しい」
 おれは無言で頷く。
 スカリエッティは少しの間を置いてから、再び口を開く。
「……あとは、そう。単純に、私が二人いては、この私、、、ができることが半分になってしまう。それは面白くない」
「ふーん……、じゃあ二人いても結局は一人に戻る、と」
「ふふ。やはりわかっているようだ。あるいは実体験による結論かい? そうだ……、たしかインテグラ・イイオトコが関わっていると言っていたが。良ければ感想を聞かせてほしいものだ」
「そうだな……、たぶんあんたが思う通りだろう、と言っておく。まあ、鏡の中の自分が勝手に笑いだしたら、思わず叩き割りたくなっても仕方がない。いまなら少しだけ、そう思える」
 インテグラが気色悪かったのは、つまりそういうことだったのだ。
 そして、インテグラのいう趣味での殺しとは、恐らく……。



 それからは、再びゆっくりと時間の流れる病院での日々が戻ってきた。
 執務官組、特にフェイトとシャーリーがやたらと気を使ってくれるようになったのは、たぶんデバイスの記憶が云々というあたりに関係しているのだろう。そのことについては、現在、捜査を進めているそうだ。忙しいだろうに毎日欠かさず来てくれるのが、ありがたいやら申し訳ないやらで複雑だった。
 そして退院も近付いてきた頃、ようやく王冠と再び話す機会が得られた。



モドル