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◆◇◆

 ついにインテグラともおさらばできる。待ち遠しかった強制捜査予定日の前日。さわやかな朝である。
 もちろん今日までも特訓と称した残虐ショーが行われたわけだが、たった数日で劇的にパワーアップできるなら、どいつもこいつも試験の回転が間に合わないから書類上はF級だけど実力はS級魔導師だ。管理局は大喜びだろう。いや、犯罪者もモリモリ実力をつけるから結局は変わらないか。
 しかしこの体は本当に幼い。背が低い、体力がない、足が短い。戦闘に向いていないのは誰が見ても明らかなのだが、日常生活にも問題があるのはいただけない。
 たとえばいま洗面所にいる。踏み台がなければ手が蛇口に届きもしない。もちろんそんな便利なものなどないので、王冠の尻を叩いて魔法を発動を発動させる。ふわふわ浮きながら顔を洗い、歯を磨き、相変わらず鏡の中からこちらを見る紅と翠の瞳にため息をついた。
 こちらを見つめる幼女は、見れば見るほどヴィヴィオだ。どうにもしまらない顔をしている。キリッとした顔を作ろうとして、自分で笑ってしまったのがショックだった。が、それ以上にショックだったのは、この世界に来る前の自分の顔がかけらも思い出せないことだった。
 名前も顔も思い出せない。それは自身だけにとどまらず、記憶の中に存在するあらゆる人物に共通する。だというのに、彼らが存在したという事実のみを覚えている。
 ……覚えている? 本当に?
 この感覚は、どちらかといえば―――
「コロナ? なに一人でにらめっこしてるんだよ? グロいからやめなよ」
「グロいとか―――うわ? グロいぞおれ」
 鏡に映った顔がぐにゃぁ、とスライムみたいになっていた。反射的に自分の顔を小さな手でペタペタ触って確認するも、きちんと人間の顔の形を保っている。
「幻術魔法だね。下らないいたずらだ」
 王冠があっさり看破した。
 幻術。使い手の少ない魔法。理由が適性の問題なのか人気がないだけなのかは知らない。知らないけれども、今日までの特訓の中でインテグラが使用したそれは効果が抜群だったのを体が覚えている。インテグラが言うには、人の心や脳について学ぶ過程で習得したとのことだ。
 人間は目に頼りすぎる生き物である。
 率直な感想をいえば、来ることがわかればどうにか避けられる砲撃と比べて、幻術は十倍くらい恐ろしい。"原作"のせいで支援用の魔法であるという認識が強かったが、悪意を持って使えばこれほど攻撃的なものもそうそうないように、今なら思える。
 鏡に手をかざして幻術を解除。戻ってきたのはやっぱりしまらない顔だったが、先ほどよりは幾分マシに見えた。
「今日、昼だったか?」
「そうだよ。……なにが?」
「わからないのに返事するなポンコツ」
 最近めっきりズボラになった人工知能だった。しかし当然ながらこちらにも問題があるので、王冠は怒る。
「だったらわかるように質問しろよ欠陥脳」
「この家を出て、一度会社、あのビルに向かうのは昼ごろだったよな?」
「そうだよ。で、そこから新しい隠れ家にまた移動。アイツが捕まろうが逃げようが、そのあと私たちは管理局に投降……なんだけど、本当にするつもり?」
「なんだよ急に?」
 そういえば王冠がなぜ管理局や聖王教会を嫌がるのか、一度も聞いていなかった。
「ほら、私は古いデバイスだから、ああいうところと接触するとバラバラにされて調べられたりするかもしれない」
「おれの心配をしていたなら容れてもよかったが、なんだ、自分の心配か。だめだ。我慢してバラされろ」
「本当は、コロナは特別な体だから連中が好き勝手いじくりまわす可能性があるのが許せなかったんだ」
「バカめ。もう遅いわ」
 珍しく王冠をバカ呼ばわりして悦に入る、平和な午前中だった。



 午前中が平和だと午後は荒れる。そんな法則は断じてない……はずだ。
 正午である。当初の予定通り、インテグラと共に車に乗って数十分。何事もなくビルへと到着した。
 社員用の入り口から建物に入り、エレベーターに乗り、親分さんの部屋へと向かう途中。ぐにゃ、とゼリーの海に飲み込まれたかのような違和感が肌を撫でて通り過ぎた。
「あれ? ……これは管理局が使う結界っぽいな」
 インテグラが、おかしいな、と呟く。
「おい。明日じゃなかったのか?」
「そう思っていたんだが……、見事に騙されたみたいだ。内側に閉じ込めて、転送での脱出を防ぐ結界だろう。閉じ込める人間の基準は……、魔力資質の有無か、あるいはデバイスの所持か。……まず後者だろうな」
 要するに、インテグラがどのようにしてか調べ出した強制捜査の日にちは間違っていたということだ。管理局による襲撃の前日であったはずの今日、あっさりと結界内に閉じ込められてしまった。だというのに飄々とした態度を崩さないインテグラを見て、閃きにも似たロクでもない何かが生まれた。
「……おまえ。知っていたんじゃないのか?」
「いや、これは完全に予想外。だからといって予定と違うところを挙げてみれば、おまえがいるってことだけなんだが」
 大したことなさそうに言うが、おれにとっては大問題だ。こうなるのが嫌だから隠れ家を求めたのに、何の意味もなかった。
 早足で廊下を進むインテグラをほとんど駆け足で追う。そして親分さんの部屋に。
「―――おう。インテか。これはいよいよ腹を決めるときが来たようだな」
 こちらを一瞥し、すぐに窓の外に厳しい視線を向けなおした親分さんがいう。既にバリアジャケットを身にまとい、黒い杖を手にしている。
 対するインテグラは、
「申し訳ない。おれのせいでしょうに」
「なに、捕まらなければ文句は言わん。引き金はおまえだが、おまえという戦力で帳消しだ。それに、どうせ早いか遅いかの問題だったからな」
「そうですか。それはよかった。じゃあさようなら」
「あ?」
 厳つい顔をこちらに向けた瞬間、親分さんはその場に倒れ伏した。
「実はあなたを殺す仕事も請けていたんですよ。おれが言うのも何ですが、相当酷いやり方をしていたとか? まあ、おれとしてはこれで関係ない人を巻き込む名目もできたわけで、助かるんですがね。いやあ、マイルールを守るのも中々タイヘンです」
 声が遠い。
 どくどくどく。
 血が床に広がっていく。
 領土を広げていく侵略国家の地図。
「あ…………」
 言葉が出ない。目が釘付けになる。
 嘔吐感や嫌悪感はない。ただ頭が軽くて体が軽くて、まるで足が地についていないかのような不安定。
 このまま風船みたいに飛んでいってしまいそうなおれの体を上から押さえつけたのは、この光景を作り出したインテグラ本人だった。
 頭に手が置かれ、ぐい、と地に押し込むように圧力がかけられる。
「あれ? 人が死ぬのを見るのは初めてか? でも大丈夫。おれも最初はそうだったけど、すぐに慣れた。だったらおまえもすぐに慣れる」
「おまえと……、一緒にするな」
 どうにか言い返すが、インテグラは口元を斜めにするだけ。そしてすぐにこちらから視線を切って、窓の外に目を向ける。
「ふーん……上と下からサンドウィッチ作戦か。連中が突入してくるまでは、やることないなあ。あと五分もないだろうが、おまえもそれまでに心を切り替えた方がいい」
 無言を返す。できるだけ親分さんだったものが視界に入らないようにして。
 と、無言でいるのが耐えられない生き物なのか、インテグラがしゃべり始めた。
「コロナは高町なのはについてどう思う? おれは嫌いなんだよなあ、あれ。おれだって何かの間違いで人並み以上に努力はしたけど、それは勢いづいていたからだ。バブル経済みたいなもので、心に勢いのある時は加速度的に伸びていくんだが、正直、一度墜ちればそこから這い上がる努力はおれには無理だ。そう……、将来を期待されるエリートとして入局し、本人もその期待にこたえようと努力し続け、また自身の信じる物を押し通そうと無茶を続けた結果、溜まった疲労が祟って撃墜され、歩行すら困難となり、おまえバナナとサクランボどっちが好き?」
「リンゴ」
「はいよ。で、……歩行すら困難となり、一生そのままかもしれないと言われた時、それでも再び空を夢見て努力するなんて、おまえにはできない。ほら、食え」
「いま、それズボンの中から取り出さなかったか?」
 ポケットの中ではなくズボンの中。ばっちい。あとバナナとかサクランボとか答えなくてよかった。
 インテグラは仕方なさそうに自分でリンゴに齧りつく。シャクシャクと音を立てて、丸いリンゴが削り取られていく。
「で? 結局なにが言いたいんだよ? おまえは」
「忠告。ただの忠告だ。どうもおまえはハズレっぽいしな。最初はムカムカ? ムズムズ? いや、ムラムラ? ……ともかくアタリかと思ったんだが、近くに置いて観察してみた結果、かなり際どいが陰性と判定されたわけだし。なのでここは先達ver.1として、後発ver.2のおまえに一つ忠告をしておこうと」
 わけのわからない単語を――意図してだろう――連ねてしゃべるインテグラ。
「コロナ。おまえは高町なのはをまぶしいと思うだろうが、おまえはまぶしい存在にはなれない。一応言っておくが精神的な話だぞ? だから、一度努力を始めたら、絶対に墜とされないことだ。……おまえバカだしもう一度言っておくが、精神的な話だぞ?」
「まさかおまえにバカと言われる日が来ようとは……」
 これ以上ないほどの侮辱である。
「あとは、そうだな。強いて言えば、出会わないことぐらいか。まあ、こっちはほとんど運なんだが。……さて、それよりそろそろ来るぞ。窓の外を見てみろ。もう下の方からは陸戦魔導師が入ってきているかもしれないな」
「ん……」
 背が足りずに見えないので、ふわりと浮く。もう不安定感はなかった。少し自分が嫌になる。そんな気持ちを無理やり忘れ、窓の外をそっと見た。
 ビルの周辺を装甲車が囲み、空中は魔導師による包囲がなされている。さらにダメ押しで結界が張られており、ネズミ一匹逃さないという姿勢がうかがえる。が、正直、これは悪手に思えてならなかった。というのも、認めるのは嫌なのだが、十日にも満たない付き合いだというのに、おれはインテグラの性格を把握してしまっていたのだ。
 この状況。インテグラなら、まず間違いなく大暴れする。バカだから。
 インテグラも窓の外を眺め、呟く。
「ラピュータは本当にあったんだ」
「……唐突になんだよ」
「こっちに人差し指を出せ」
 言われたとおり、プギャーと指さすように人差し指の先をインテグラに向ける。インテグラは一つ深い頷きを見せてから、同じようにこちらに人差し指を差し出した。
「ちゃーんちゃーん、ちゃらららーらーん♪」
 星戦争のテーマ。宇宙つながりなのか、間違えているだけなのか。もう無茶苦茶というか、ぶっちゃけたというか、解禁したというか、インテグラはやりたい放題だ。
 さっさと母星に帰れ、と冷たい目で見ていると、二人の指先がぶつかり合った。
 こちらを見るインテグラの黒い目が何を期待しているのかわかってしまう。どうせこれで最後だろうし、しょうがないので付き合ってやろう。
 二人揃って大きく息を吸い、
「「バルス……!」」
 瞬間。
 立て続けに爆音。
 地震としか思えない大振動。
 それもやがて収まる。
 おれはといえば、恥ずかしながら腰が抜けて尻もちをついていた。本当に爆発するなんて思うはずがなかった。
 そんなおれの目の前で、インテグラは杖の先端を床に向けて構える。そして、まさかと思うよりも早く赤い光が―――


◆◇◆

 数日前に協力要請をよこした捜査主任から再び連絡が入ったのは、強制捜査予定日の前日、早朝のことであった。
 踏み込みを一日前倒しにする。可能であれば来てほしい。その言から察するに、フェイトとティアナの参加は必須ではないようだった。二人が参加しなくとも、捜査が行われるのは決定しているのだろう。名の通った執務官とその補佐が戦力に加算できれば幸運である、といった程度の考えだと思われる。
 それでも二人が参加を決めたのは、捜査主任のもたらした情報が原因だった。
「嬢ちゃんには……と、失礼、ハラオウン執務官殿には、犯人逮捕以外の仕事を頼みたいんだ。この、昨晩遅くに入った情報が、突入予定を繰り上げた理由の一つでもあるんだが、なんでもイイオトコの野郎、子供を一人手元に置いているらしくてな。で、その子供の特徴なんだが―――」
 ―――幼い少女。
 ―――翠と紅の瞳。
 ―――ブロンドの髪。
 目を見開いたフェイトを見て、モニターの向こうの男は苦笑した。やっぱりか、と呟きながら。
『最近なりふり構わず動いてる執務官がいるとは聞いてたからな。嫌でも耳に入る。まあ、知っていながら協力を頼んだのは許してほしい。めでたくクソ野郎、失礼、イイオトコのヤツを捕まえることができたら、礼ってわけじゃあないが俺の所からもあんたの方に人員を回そうと思ってたんだ。で、そこにこの情報が入ったってわけだ。お互い、ようやくツキが回ってきたってところか』
 捜査主任は口を斜めにして、不幸中の幸いだがな、と締めくくった。以前同じ表情を見た時は、海と陸の対立から抜け出せない人物だと思ったものだったが、いまは違う。
 自分も現金なものだと考えながら、フェイトは敬礼する。
「協力させていただきます。いえ、こちらからお願いします。ぜひ協力させて下さい」
『ああ、助かる。で、早速だが仕事の話だ。突入は本日正午を予定しているんだが、大丈夫か? 打ち合わせのために、まずは捜査本部まで来てほしんだが』



 そうして呼び出された捜査本部。捜査員たちはすでに出払っており、実際会ってみると、モニター越しに見たときよりも若く見える捜査主任が一人残っていた。フェイトとティアナ、それにもう一人、モニター越しの補佐官シャリオ・フィニーノシャーリーへの説明のためだけに。
 恐縮するフェイトらに、捜査主任は笑って言う。
「なに。俺は部下に恵まれててな。実のところ俺抜きでも回りやがるんだが、バレたらクビになりかねんので黙っておいてもらえると助かる」
 頂点なしでも仕事が回るようにチームを作り上げただけで、有能さの証明には十分だった。
「さて、じゃあ作戦について説明を始めるか。時間が惜しい。―――と、そのまえにイイオトコについて説明しておくべきだな」
 空間にモニターが展開される。
 しかしイイオトコについての詳細は、海のデータベースから既にシャーリーが抽出していた。それが表情に出でもしたのか、捜査主任はティアナの顔を見て笑う。
 自嘲?
 疑問に思いながらフェイトは尋ねる。
「海と共有するに至らない、現場だけの情報がある、と?」
「そうだ。あの野郎が幻術魔法を使うのは状況から見て明らかだってのにな、データベースには登録されてないんだよ。この間の逃走劇にしたって、どう見ても自動運転用AIと幻術の組み合わせだってのに。実際に対峙して、ヤツが幻術使いだと確信を持ったと思われる捜査官は全員やられてるからな。それにデバイスも種類にかかわらず完全に破壊していきやがる。加えて最悪なのが、クソ忌々しいことにあの野郎、人質を殺すことに何のためらいもない。最初から複数の人質を用意して、捜査官の前で次々と殺していくんだ。カウントダウンのつもりなんだろうな。唐突にヤツに遭遇した捜査官は、これまたいきなりその光景と要求とを同時に突き付けられて、動揺と焦りでマトモな判断力を失ったところに一撃入れられる」
 一気呵成に言い切って、捜査主任は深く息をついた。
 そして続ける。
「……これにしたって、現場に残された状況からの判断だからな。あんまり信頼しすぎるのも問題だが、何もないよりかはマシだろうよ。……で、今回は運良くヤツの潜伏先がわかってる。ようやくこっちから先手を打てるってわけだ。まずは逃走と人質を取られるのを防ぐために―――」
「あの―――」
 声を上げたのはティアナだった。
 場の視線が年若い執務官補に集まり、代表して捜査主任が尋ねた。
「ん? なんだ、嬢ちゃん」
「その、容疑者が使うという幻術についてのことなのですが」
「ああ、そう……、そうか、そういえばあんたも幻術使いだったな。そうだ。思い出した。いかんな、これだから年をとると……。だから頼れるかと思って協力を依頼したってトコもあるんだった。なにせ使い手が少ないせいでな、助言を求めようにも求められない状況にあった。頼りにしてるぜ? 専門家」
「あ、はい。ありがとうございます。―――それで、容疑者が用いるという幻術についての情報は、他には何かないのでしょうか?」
「そうさなあ……、カメラの角度の問題で映像は残ってないんだが、音声だけでもよければ、ないことはない、んだが……」
 言いにくそうに言葉尻を濁す。ここまで散々いいたい放題だったのに、どういうことなのか。
「あの……?」
「いや、……すまん。見た感じ、もとい聞いた感じ、後味最悪な資料なもんでな。イイオトコのヤツを追うことになった捜査官は大抵あれを聞いてる途中で顔を真っ青にして便所に駆け込む。ベテランでも。この前なんて、といっても数日前なんだが、新人なりたての女の子がこっちに回されてきてな。かわいそうに。周りが止める中、大丈夫だって勇み足で閲覧しに行って錯乱しちまってなあ……、そりゃあ酷いことになった。……そんな資料でよければあるが、正直、お勧めはしない」
 夢に出るぞ、と舌うちする捜査主任。思い出してしまったのだろう。しかめっ面。
 そこまで言われれば、さすがのティアナも戸惑ってしまう。そこに助け舟のように、捜査主任が口を出す。
「ま、聞くか聞かんかは後で決めればいい。先に進むが、いいか?」
「はい。失礼しました」
「ん。じゃあ続きだ。あー、何の話してたんだったか……」
「容疑者の潜伏先がわかっていて、逃走と人質を取られるのとを防ぐために……、というところでした」
 フェイトが指摘する。
「そうだそうだ。そうだった。で、それらを防ぐために、まずは結界魔法でヤツの潜伏しているビルを―――」


◆◇◆

 12:00

 作戦開始。
 下からは陸戦魔導師が、上からは空戦魔導師が、インテグラ・イイオトコを捕らえるために動き出した。その機敏さは訓練された猟犬か、それとも獲物を狙う猛禽か。
 ティアナと同じく正規の入り口からビルに侵入したのは、他に陸戦魔導師七名。加えて空を抑える、フェイトを含めた空戦魔導師六名。陸戦魔導師がビル内で犯人を捕縛できればよし、そうでなければ追い立てて空に逃げたところを空戦魔導師が囲んで撃墜するという単純極まりない作戦だった。しかし、今回の作戦の中でも特に突入の第一陣、すなわち実力による制圧作戦に投入された魔導師は、最低でもAランク。誰も彼もがエースやストライカーと呼ばれ、現場で重宝されて止まない凄腕たち。その実力があるからこそ、単純な作戦は非常に高い効果を期待されるのだ。
 考えてみれば、土壇場で予定日を繰り上げた作戦のためにいまだにゴタゴタの続いている陸の部隊から彼らを引っ張って来きたというのは凄まじい話だった。元から極秘に協力を取り付けていたにしても、その調整には多大な労力が費やされたはずである。この犯人の逮捕には、それだけ熱を上げる価値が、理由があるということか。
 そこまで考えて、今すべきことは他にあるとティアナは首を振った。突入チームのメンバーからちらりと視線が向けられるが、大丈夫だ、という意味を込めて頷く。そうか、と頷きが返ってくる。それだけのやり取りだったが、心は落ち着いた。この頼もしさが、本物のストライカーが自然と身にまとう雰囲気なのだろう。いや、その雰囲気をまとう者こそが、本物のストライカーなのか。彼らのようになりたいとティアナは強く思う。
 このビルには階段が二つあった。突入チームは二手に分かれ、階段を駆け上がる。途中で遭遇する魔導師を、それが抵抗していようが投降の姿勢を見せようが、片っぱしから殴り飛ばし、縛り上げ、迅速に上層階を目指す。捕縛された者たちの回収は、後詰め班が行う予定だ。ゆえに先行部隊は取り逃がしにさえ注意すれば、他の事に気をとらわれずに全速で進軍できた。
 快進撃だった。だからこそ、意識しないところで生物としての油断がなかったとは言い切れない。いや、なくても結果は変わらなかっただろう。
 最初は地震かと思った。しかしそれは、他の経験豊富なメンバーによって否定される。
《さっそく爆破か。無茶苦茶しやがる》
《畜生め。いきなりやりやがった》
《奴さん、相当焦ってるみたいだな。このままだと更に何かやらかしかねん》
 轟音に阻害されぬよう、部隊内で思念通話の回線が開かれる。飛び込んできたのは、この揺れが爆弾の爆発によるものであるだろうという推測だった。
 伝わってくる声々はひどく冷静だ。言葉の内容からは、早々に爆弾による建物の内部構造の破壊が行われるのは多くないケースだと窺えるが、口調からはそれがどうしたという気概がにじみ出ている。
 歩行が困難になるほどの大きな揺れ。軋みを上げ、ヒビが入り、崩れる壁。しかし、この程度で膝を屈すれば陸戦魔導師の、エースの、ストライカーの名が廃る。
《こちら01。負傷者はいるか?》
 揺れが収まると、すぐにリーダーが尋ねた。
《こちら02。問題なし》
《こちら03。同じく問題なし》
 同じような報告内容が続き、ティアナもそれに続く。
《よし。Bチームむこうの方も全員無事だそうだ。それでは作戦を続行―――と言いたいところだが、こりゃあ厳しいな》
 皆の視線の先にあったのは、道を塞ぐ瓦礫だった。天井が抜け落ち通路を潰す代わりに、上の階への直通ルートが開けている。恐らく、ここだけではない。
《むしろこっちが目的だった……?》
 思考の垂れ流しに近い呟きを、ティアナはこぼす。すぐに同意の声があちらこちらから来る。進路の妨害と、あわよくば部隊を分断するつもりだったのだろう、と。
 今回はたまたま全員がひと固まりで残り、かつ上への道が開けたが、そうでなければ面倒なことになっていた。それに、現在の状況にしても、上の階へと進むことはできてもこのフロアの未探索区域を残すことになる。このまま上に登れば、ここまで以上に背中を気にしながら進まなければならなくなる。進行速度は当然落ちる。
「仕方ない。想定の範囲内だ。速度を落とす」
 リーダーの呟きで方針が決まった。その瞬間だった。
『Master!』
 ティアナが手にした相棒、銃型インテリジェントデバイスのクロスミラージュが警告を放った。それに遅れること数瞬、地上の指揮車からも同様の警告。
《ビル上層部に高魔力反応! 推定AAA+ランク! 真上からデカイ砲撃、来るぞ……ッ!》



 12:47

 ティアナたちが留まっていた場所以外に向けても、さらに数度の砲撃が行われたようだった。その度に本部から警告が届き、直後に地響きのような音と振動が発生、ビル内部がかき回される。
 砲撃で変わった地形―――ビルの内部構造によって切り離されたのはティアナだけではなかった。四人編成のチームは三つのグループに分断されてしまっている。もう一方のBチームも似たようなものだとのことだ。けが人は出ていない。全員、直撃は逃れたそうだ。
 放たれた砲撃はたしかに現在の自分では望むべくもない威力を見せつけはしたが、ただそれだけだ。そう思うのは、ティアナがもっと強く、もっと輝かしい魔法を知っているから。
 あの人の、絶望や悲しみを撃ち抜くための魔法に比べれば、先ほどの赤い閃光などはまだまだ対処のしようがある攻撃だ。
 ティアナは努めて心を平静にし、仲間と念話で連絡を取りつつ、合流するための経路を探索しはじめた。
 合流までの間、犯人には自由な行動が許されてしまうと心配したが、本部との通信により、それは杞憂だと知ることになった。空の檻を固めていた空戦魔導師チームから二名が、ビルの上層階からの突入を敢行したのだ。こちらはフェイトを含めた正真正銘の管理局のエース。部隊の代表ではなく時空管理局まどうしの代表に近い存在である彼女らは、決して墜ちず、決して負けず、決して果てず、常に輝き照らす役割を負う。生まれもった資質と、それを生かすための厳しい訓練、そして何より折れず曲がらず一直線に伸び進む鋼の意思を持った不屈のエースたちがいれば、犯人もこちらに気を割く余裕はないだろう。
 ならば今できることは、出来る限り早く仲間たちと合流し、主戦場が空に移る前に本来の任務に戻ることだ。
 一人でいるせいで警戒に大きな力を割かねばならず、必然、移動速度は極端に落ちる。しかしこのように環境の悪い閉所でこそ陸戦魔導師の本領は発揮される。
 突入した時にはゴミ一つ落ちていなかった通路は、見るも無残に破壊されつくしていた。靴の裏が踏むのは平らな床ではなく、欠けて散ったコンクリートの破片や砕けたガラス片だ。一歩踏み出す度に耳障りな足音。結界で隔離された空間なので、町の音がしない。細かい音まで拾うことができる。
 だから、その音に気づくことができた。
 砕けたガラスを更に小さく踏み割る音が、曲がり角の向こうから、聞こえたのだ。
 ティアナは足を止めデバイスを構える。見えざる気配も同じように動きを止めたようだった。音は、遠くから届く鈍い響きだけ。それだけでは、この場に満ちる静寂と緊張を動かすには不十分。
 場を動かせるのは、いつだってその場に存在する人間だけだ。
「―――こちらは時空管理局の捜査官です」
 間を置く。
 反応はない。
 やはり味方ではない。この近くで合流できるはずの味方がいないことは、そもそも知っていた。やはりか、と思う。久しぶりの、単身での接敵だ。
「あなたがこの会社に所属する魔導師であるならば、デバイスを待機状態でこちらに見える位置に投げ、それからゆっくりと、両手を頭の後ろで組んで姿を見せなさい」
 犯人に告げるのと同時に、仲間たちに対して、
《こちらA-04。17階の東側通路で魔導師と遭遇。投降を呼びかけています》
《こちらA-01リーダー。了解。投降に応じた場合は無力化をした上で拘束、抵抗した場合は叩きのめせ。ただし無理はするな》
《04、了解》
 短い通信の間も、もちろん注意は逸らさない。
 しかしティアナの緊張に反して、角の向こうから返ってきた声は穏やかなものだった。
「―――了解した。投降する」
 よく通る、男の声。聞き覚えがあるような気がしたが、意外にも素直な返事への驚きが上回り、すぐに気にならなくなった。ここまでにも何人かいた、最初から投降の意思を示した者と同じだろう。もちろんそれでも殴り飛ばして無力化はしてきたし、ここでも同じことをするつもりだ。
「そう。なら、まずはデバイスを」
「わかった」
 言葉に遅れて、小さな金属音が聞こえてきた。鎖の音だ。待機状態のデバイスをアクセサリとしてチェーンで身につける魔導師は多い。ネックレスを外す音だろうと想像する。
 想像は外れず、ペンダントヘッドが銀鎖の尾をなびかせながら放物線を描き、床に落ち、小さく跳ねる。
「次は、両手を頭の後ろに組んで、こちらに背を向けながら、出てきなさい」
「……ああ、わかった」
 返事までに、少し間があった。それを訝しく思いながらも、ティアナは鋭い眼を維持したまま、クロスミラージュを前方に向ける姿勢を崩さなかった。
 だから、凝視してしまった。
「……こいつを見て、どう思う?」
 角の影から出てきたのは、全裸でこちらを向いたインテグラ・イイオトコだった。
 汚いモノを見せるな、などと返す余裕もなく念話ですべての仲間に連絡しようとするが、
「念話が……、通じない!?」
「ジャ・ミ・ラ……じゃなかった、ジャ・ミ・ン・グ」
 くるりとターン、こちらに尻を向けクネクネと尻文字を描きながら発音する犯罪者。とりあえず猥褻物陳列罪の現行犯だと判断し、今すぐしょっ引こうとスタンバレットを放つ。ほとんど反射的な動作だった。
 直撃すれば一日はまともに動けなくなるはずの弾丸は、しかしイイオトコにかすりもしなかった。いや、ティアナの目の前にいるそれの尻に当りはしたが、それは弾丸が命中した瞬間にすぅと溶けて消えたのだ。
 一瞬、高速移動の類だと思ったのは、背後からの声に正答を知らされたからだった。
「世の中には幻術という魔法がありまして。なんでマイナーなんだろうなあ、これ。便利なのに」
 ゴリ、と後頭部に突き付けられる冷たく硬い感触は、魔導師の象徴にして相棒―――すなわちデバイスであった。見れば、先ほど床に放り投げられたはずのアクセサリも姿を消している。
 ……クロスミラージュのセンサーすら誤魔化す幻術か。ティアナは内心で唸る。まさかこんなところで大本命とぶつかるとは。それも、一人でいるときに。
「あ。わかっているとは思うけど、動くなよ? そう……、せっかくだからここはさっきのセリフを借りて、こう言おう。―――こちらは指名手配犯のイイオトコです。あなたが管理局に所属する魔導師であるならば、デバイスを待機状態でこちらに見える位置に投げ、それからゆっくりと、両手を頭の後ろで組んで姿を見せなさい。もちろん全裸になる必要はないぞ?」



 13:03

 ティアナは指示に従い、右手を塞いでいたクロスミラージュを床に落とした。対の存在である左手用のものは元から構えていなかった。外からでは見えない位置のホルスターに収められている。
 まだ、チャンスはある。
「おや。意外と素直だ。管理局、大丈夫なのか? それともこれが世代の違いなのか」
 背後でイイオトコが呟く。
 もう少し抵抗を見せた方が良かったか。ティアナはそう考えるも、この男は平気で人を殺す人間であったことを思い出す。任務の前、結局は例の捜査資料に目を―――耳を通し最悪な気分になっていたのだが、それがなければここで強気の対応をしてすぐに殺されていたかもしれない。
 ……そうか。最初、声に聴き覚えがあったと思ったが、それだったか。自身の迂闊に舌打ちしたくなる。
「さて。じゃあドキドキ尋問タイムといこうか。せっかくなんで面と向かって話そう。ゆっくりと回れ右をしてこちらを向くように」
「わかったわ」
 言われて、ティアナは素直に従う。左に回ってやろうかとも思ったが、やめておいた。
 ティアナの正面に立つのは、黒い髪、黒い瞳、背の高い男。捜査資料にあった顔写真より幾分骨ばっている。体格は、それほど横幅はなく、しかし戦う者として鍛えられているのは見ればわかる。管理局の魔導師であったというのは嘘ではなさそうだ。
 そんなインテグラ・イイオトコ、こちらの顔を見てなぜか少し驚いているようだった。
「ん? あれ、おまえはえーと、ルンルンじゃなくて、ランランでもなくて……、そう、ランスター二等陸士、もとい執務官補」
「……どうして?」
「正解か。いやなに、おまえの恩師に興味があって。あと上司にも。機動六課もずっと観察していた、わけでもないけど。まあ……、でも良かったね! 君には特に興味もない。原作キャラじゃないし、、、、、、、、! だから、そうだな、このビルに侵入した局員の居場所を教えてくれれば見逃してやってもいいが」
 こいつ、なにか危ない薬でもキメてるのかもしれない。言動がめちゃくちゃだ。ティアナは思う。そして、警戒する。よりにもよってこんな精神状態の人間が高ランク魔導師だなんて。誰でも扱える質量兵器が危ないのと同じ理由で、この男が高い魔力を持っているのは危険なことである。
「……。教えてもいいけど、ジャミングが酷くて私でも知ることができないわ」
「んー……、だったらやっぱり一人ずつ当たっていくしかないか。でもなあ、面倒な上に、出会った時には魔力切れなんて面白くないんだよなあ。ジャミング解除したら騒がず喚かずなんて、おまえ、できないだろ?」
 問いかけというよりは、自身の中で出た結論を声に出すことで固定するための言葉に聞こえたので、返事はしない。
 代わりに問いを放つ。
「ねえ?」
「ん? なんだ?」
「あなた、どうして、なのはさんやフェイトさんに……?」
「おやおや、これは知りたがりのお嬢さんだ。そうだな……、」
 自身を語る言葉を検索するための間。イイオトコは浅く目を瞑る。
 ―――瞬間。
 ティアナの体が爆ぜるように動いた。首に突きつけられた長杖を払いのけ、敵の胴に槍のような蹴りの一撃。バリアジャケットを貫通こそしなかったが、バランスを崩したたらを踏ませることには成功する。イイオトコは体勢を整えるために一歩、二歩と後ずさる。その間、ティアナは自由に動けた。イイオトコを蹴り飛ばした反動に逆らわず、逆に身を任せ、勢いのままに地を蹴り場からの離脱を図る。床に落としたクロスミラージュをしっかり回収してから、振り返らず背後に射撃魔法を乱射、そのまま先ほどイイオトコの幻術が出てきた曲がり角へと飛び込んだ。この狭さの屋内ならば、空戦魔導師よりも陸戦魔導師の方が移動あしは速い。逃げ切れる。ティアナがそう確信したその時、
「づ……ッ!? いったぁ……」
 固い不可視の壁にぶつかって、跳ね飛ばされて尻を地に着く。
「結界……」
 やられた。念話を妨害していたのもこれか。しかし、各種センサーの働いている管理局の結界内にこのようなものを展開すれば、すぐに援軍が―――
「―――来られないようにするために、爆弾やら砲撃やらで通路を塞いだのね」
「正解」
 のんびりとした足音と、声。
「知らなかったのか? イイオトコからは逃げられない」
 振り返る。覚悟を決めて、クロスミラージュを構えた。
 獅子のように吼える。
「知るか! それよりインテグラ・イイオトコ。同じ射撃型の、あるいは幻術使いのよしみで、少し付き合ってもらうわよ」
 自身の言葉で自身の心を奮い立たせる。
 大丈夫。必ずや一矢報いてみせる。
 兄から受け継ぎ高町なのはに鍛えられたランスターの弾丸は、あらゆるものを貫くために存在するのだから。


◆◇◆

 少しだけ未来。
「おーい、誰か助けてくれー」
 コロナは瓦礫の下に閉じ込められて、かなり詰んでいたりする。



モドル