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 容姿が日本人のそれではないので、わたしは目立って目立って仕方がない。誰だって黒の中にうっすら輝く銀色の髪を見つければ、意識せずとも注意はそこに向く。といっても、わたしは自分の後頭部を見ることなどできないので、正確なところはわからない。
 が、果てしなく正確ではあると思っている。なぜなら、銀色の代わりに金色の髪を見ることができるのだから。
 黒髪の頭がニョキニョキ生えている中に、色も高さも目立つ頭。
 背が低いわたしの視界にも入ってくる。
 彼女はわたしの数少ないまともな友人(まともじゃない友人が多い、というわけではない)である。フランス系アメリカ人で、父の仕事の都合で一家で日本に越してきたのだそうだ。
 名前はとても変わっていて、クララ・ガ・クララ・ガ・タッターという。
 別に足は悪くない。でもよく転ぶ。腰の位置が高い彼女は、加えて大きな胸を装着しているために重心が高く著しく不安定なのだ。

「あ、クララ」

 いま気づいたという風を装って、友人のもとへと歩いていく。
 校門のあたりで手持無沙汰にぼんやり立っていたクララは、わたしと同じく友人が少ない。そういうわけで、特に用事があったりしなければ、先に教室を出た方がこのあたりで待ち伏せするのが暗黙の了解みたいなことになっている。
 家が別方向なら二人で繁華街の方に遊びに行くことも多いのかもしれない。でも、幸いなのかはよくわからないけれども家の方向は同じなので、大抵は合流するやいなや帰路につくことになる。
 もちろん今日もその通りで、やはりとりとめもない会話を交わしながらてくてく歩く。

「―――というわけで、このまえ母さんからよくわからない話をされたんだけれども」

 話があります、と母さんが部屋にやってきたときのことが、これといったきっかけもなく話題に上る。
 あれは一体なんだったのだろうか。
 お説教とは違うし、白銀無双英雄伝でもないし。
 母さんは普段からあまり多く喋る人ではないので、あのときも言葉は要点のみを綺麗に押さえた形だったのだけれども、だからこそわからない。その真意が。
 もしかすると自宅防衛軍入隊計画を気取られたのかもしれない。それで、もうちょっと真面目に将来のことを考えろ、といわれたのだろうか。

「クララはどう思う?」

 首を左に向ける。しかしクララはいなかった。
 振り返る。
 ずいぶん後ろの方で、地面にべちゃっとこぼれたアイスクリームのように倒れていた。やはり、どうにもバランサーに致命的な欠陥があるようだ。
 よろよろと起き上がるクララを回収しに戻る。
 それにしても、死ぬときは前のめりという言葉がよく似合う勇壮な死に様だ。彼女のように立派な子供が白銀家にあと十人もいれば、我ら自宅防衛軍の訓練兵はまだ戦えたはずなのに。

「大丈夫? あ、また膝」

 白い肌に、赤い血が筋を作って流れる。
 あと少しでかさぶたが取れるというときに限って転ぶので、見ていて痛々しい。

「うう……、痛いよ」

 目に涙をにじませながら、しかし刺身の上にタンポポの花を乗せる職人のような誇らしく迷いのない手つきでクララは血を拭い、取り出した可愛らしい絆創膏を貼った。
 絆創膏の絵柄はネコだ。わたしと彼女とが唯一思想を違える点がそれである。

 クララはネコ派。
 わたしはウサギ派。

 決して理解し合えない悲しき絶対運命が二人の間には横たわっている。
 わたしが幼い頃に母さんに貰った大事なうささんを、耳を掴んで振り回し、挙句の果てにはサンドバッグにしようとした罪は重い。あのとき、わたしは決してネコ派とはわかりあえないのだと後悔しながら悟ったものだった。
 いや、あのときはまだクララがネコ派だとは知らなかったのだったか。むしろ自分と同じウサギ派だと思っていたので、その油断がうささんへの突然の凶行を許したともいえる。

「それで、今回はなにに驚いたの?」

 実はクララ、うささんへの蛮行の事実を疑いたくなるほど気が弱い。
 驚くと跳ねる。
 で、そのあと高確率で転ぶわけだが、これがわたしをして彼女はウサギ派であると誤解せしめた大きな原因だ。
 問いに答えるように、涙を湛えた青い瞳が、向き合うわたしの肩越しに遠くを見た。つられてわたしも半身開いて振り向いて、クララの視線を追う。
 なんか赤いのがいた。

「―――斯衛、の赤。うわ、……信じられない」

 なにが信じられないって、赤色を許された斯衛軍人がこんなところに一人でいることよりも、あの服装で平然としていられることが信じられないのだけれども。
 赤白黄とチューリップみたいに鮮やかなことで有名な斯衛軍の軍服だが、全身赤色だと町中にあってあれほど目立つものだとは知らなかった。

「っていうか、もしかしてこっち見てる?」
「そ、そうだよぅ。だから私、びっくりして」

 跳ねて転んだ、と。
 さて、生まれながらのドジっ娘は置いておくとして、斯衛軍である。
 軍事大国日本が世界に誇る、将軍直属の護衛軍。
 古より日本の武の道の魂を連綿と受け継いできた現代の侍たち。
 もしかすると世界最強の軍隊かもしれない。そのようなことすら、世界最高の衛士と謳われた父さんの口から聞いた覚えがある。
 選良部隊《エリート》という意味では、自宅防衛軍の対極にして最大のライバルに当たるといえよう。
 きっと彼らは、

「米を野菜だと言い張る愚かなアメリカ人どもめ……ッ!」

 とか本気で怒り狂いながらいうのだろう。かくいうわたしも、日本人であることに誇りというほど大層なものは持っていないが、サラダにお米が入っているのを見たときは激憤しかけたことがある。であるならば、斯衛の人たちは憤死しても不思議ではない。
 日本人の中の日本人。宝石のように凝縮された誇りは、ときに強烈な排他意識を生むことがあるのだ。これもわたしにはわからない感覚なのだが、上の世代の日本人と同じく、彼らのアメリカへの悪感情はいまでも強烈だという。
 わたしもクララも日本人離れした容貌なので、目をつけられたのかもしれない。

「クララ。ここはわたしに任せて先に行って!」

 ひとり生存フラグを立てようとするわたしと、

「ダメだよ、一緒に逃げようよぉ……」

 抜け駆けさせまいと涙目で袖をひっぱるクララ。
 生き残りをかけた醜い争いをしている間に、ついに斯衛の人がこちらへと足を進め始める。
 見惚れるほど綺麗な歩みにわたしが目を奪われている内に、ついにクララは逃げ出してしまった。それを確認して、わたしは密かに安堵のため息をついた。
 彼女は中身はともかく国籍はアメリカンなので、本当に面倒事が起きる可能性があった。一方、わたしは父の名前を出せばどうにか逃げ切れるだろうという楽観、もしくは打算があった。
 こちらに歩み寄る斯衛軍人の女性は、見るに、U子せんせーと同じくらいの年齢。だとすれば、BETA大戦を戦った衛士である可能性が高い。
 国連と斯衛のトラブル云々以前に、衛士ならば白銀武の名を丁寧に扱ってくれるはずだ。
 意を決して口を開く。

「あの―――」
「久しいな。しばらく見ぬ間に随分と大きくなった」
「―――はい?」
「すまなかった」

 クララの去った方を見て、赤服さんがいう。

「どうやら友人との時間を邪魔してしまったようだ。本当は顔を見るだけのつもりだったのだが、警戒させてしまったようだな」
「あ、いえ、おかまいなく。……いや、そうじゃなくて」

 あなたはなぜいきなり友好的なのか。とか。
 あなたは周囲の視線が気にならないのか。とか。
 いろいろ思うことがあるのだけれども、それよりもまず、

「えっと……その、どちら様しょうか?」

 どうやら知り合いらしいが、覚えがないので尋ねてみる。
 すると赤服さんは目を丸くして、それからやたらと様になる苦笑をして見せた。

「覚えていないのも道理か」

 目を細めて、

「一度だけ、四歳の頃に会ったことがあるはずなのだが。あのときに思った通り、やはり母君によく似た」
「母さんのお知り合いで?」

 軍人なら父さんの方だと思ったのだけれども。
 そんな心を見透かしたかのように、赤服の人は首を振る。

「いや、どちらかといえば―――」ク、と喉の奥で笑うような気配。「父親の方だ。互いに立場があり表立って顔を合わせることはできないが、任務でこの近くに足を運ぶこととなり、そこでおまえの存在を思い出し、幸運を期待した」

 存在を思い出し、とは……もしやわたしの通う学校を知っていたってことなのでしょうか。
 細かいことは恐ろしくて訊けないので、はぁ、とか曖昧に頷いておく。
 それで満足してしまったのか、彼女は、

「それではこれで失礼する。友人にはすまなかったと伝えておいてほしい」

 颯爽と去って行った。
 もうわたしのことを忘れたかのように未練のない後姿。
 最後まで名前を告げなかったのは、忘れていたのかわざとなのか。

「はぁ……」

 あの人はまるで真水のように清涼な印象を見る人に与えるが、わたしにとっては台風だ。わけのわからぬ内に始まり、わけのわからぬまま過ぎ去っていってしまった。
 気を取り直して、家に帰ろう。それからクララに無事を伝えねばなるまい。
 バルジャーノンの特訓はそれからだ。



 白銀霞がESP能力を持つのは当然のことである。
 かくあれかし、という願いではなく、
 かくあるべし、という強い意志の後押しを受けて生まれてきたのだから。
 ―――もしも。
 霞は思う。
 もしも自分がもっと早い段階で生まれていれば。
 もしもオルタネイティヴ第三計画が止まることなく続いていれば。
 自分はESP能力者として使用されるだけでなく、次代のESP能力者の遺伝子的な母として機能することも期待されていたのではないだろうか。
 歴史に『もし』という言葉はないという。しかし、霞の最も近しい人が体現しているのだ。ならば、ありえないとはいいきれない。
 どこか別の世界、どこか遠い世界では、自分の子供がかつての自分と同じように、思い出など得ることない冷たい時間を過ごしているのではないだろうか。
 一歩間違えれば、そんな想像が現実のものになることを霞は知っていた。
 霞の過去がモノクロ写真のように静かである原因は、それだけではないにせよ、彼女がESP能力者であるということが大部分を占めている。
 見えることを恐れる我。
 見られることを恐れる他。
 同じことを子が経験する可能性は多いに存在している。
 そう。
 彼女の娘はESPを受け継いでいたのだった。
 なるべくしてなった霞とは違い、娘の力は本人でさえ気づかないほど薄い。しかし、存在していると霞が気づく程度には濃い。リーディングもプロジェクションも、生活の中で無意識の下に使用されている。
 霞は自分の娘が人づきあいを厭うていることを知った。その原因が、無意識に人の心を読んでいるからだとも見当がついていた。
 今日まで、彼女は娘にESP能力について何一つ教えてこなかった。その存在も、使い方も、霞がそうであることも、そして霞がどのようにして生まれたかも。
 娘が力を持て余すことがない限り、能力についても、霞自身のことについても話さない。少なくとも、娘が大人になるまでは黙っておく。それは子供が生まれたときに夕呼と相談し、武と泣きながら決めたことだった。
 いまがその時なのかもしれない。
 最近、霞は娘と話をする機会を作った。しかし結果は無残だった。将来への熱意といった類のものは、娘の中に沸き起こることはなかったのである。
 理由がなくとも生きられる時代だ。生きようと思わずとも生かされる時代へと変わってきている。更に、娘には先天的なハンディキャップたるESPがある。
 仕方がない。そういって諦めるのは楽だろう。
 けれども霞は諦めたくなかった。
 人を好きになり、その人と結婚して親になり、生まれた子供をこれほどまでに愛している。
 かつての自分が、想像できただろうか。涙が出るほど幸せな日々を。
 娘は知っているだろうか。自分の前に拓かれたたくさんの幸福の可能性を。
 話をしよう。すべて話そう。
 とてもとても大切な、あいとゆうきのおとぎばなしを。
 娘に伝えよう。
 自分の見てきたすべてのことを。
 覚悟を決める。
 ぎゅっと握った手が震えた。
 大丈夫。
 きっと、大丈夫だ。
 自分の思いを彼に伝えようと決めたときも、同じように体が震えた。
 けれども自分は伝えられた。
 だからきっと、頑張れる。
 この日、白銀霞は決意した。



 風が吹き、桜の花びらが千と散る。
 視界一面を覆う薄紅色。
 幻のように美しい桜並木。
 きっと多くの英霊の魂を湛えて、こんなにも綺麗に咲いたのだろう。
 目の前で命を散らせて、基地に咲く桜となった戦友の最期を誇らしげに語り終え、それから武はいった。

「いつかオレたち全員が一人の人間として話をできる機会がくれば、存分に語りましょう。きっとその頃には色々なしがらみもなくなって、アイツのことを口に上らせても平気な時代になっているはずです」

 武にとって、この桜の前での約束は神聖なものだった。

「ああ。それはとても―――」

 気丈な人だと、そう思っていたけれど。武の目の前で頷いた赤い軍服の女性は、涙を堪えるような儚い笑みを見せた。

「―――楽しみだ」

 ざあ、と風。
 桜の木がくすくす笑うように枝を揺らして花びらを舞わせるのは、まさか月詠の表情に見惚れた自分の姿を皆が笑っているのではあるまいか。
 そうか。夢か。
 唐突に思い出す。この約束をしたときは、まだ、桜の季節には届いていなかったはずだ。
 ここにきて、武はようやく自身が夢の中にいると気がついた。
 同時に訪れる目覚めの気配。
 夜が明けるように、世界が白んでいく。
 薄い膜につつまれてぬるい水にたゆたうような幸せな時間はもう終わる。
 けれどもそれでいい。
 自分は生きることこそが地獄である世界を生き抜き、死後は恩師と共に地獄に落ちる覚悟をした人間だ。仲間たちと同じところへは逝けないのだから、彼らの気配を感じ取って幸せに浸ろうなどと思ってはいけない。
 ほとんど覚醒時のそれに近い自戒の意識を以て、武は眠りから這い上がる。

「―――あら、ようやく起きたの?」
「なにやってるんですか……」

 目の前にマジックの先端が伸ばされていた。
 大切なのは、犯行前なのか、犯行後なのかだ。
 武は己の顔をぺたぺた触ってみるが、残念ながら手の平は視覚を司る器官ではなかった。わかろうはずもない。
 仕方がないので、身だしなみを気にしなければならない立場となってから持ち歩いている手鏡を取り出し、

「オグラグッディーーーーーーッッ!!!」
「ああ、酷い目にあった……」

 ごしごし洗いすぎて赤らんだオグラグッディ面を拭きながら、恨みがましく夕呼を見る武に、

「あたしとの約束すっぽかして昼寝なんて、あんたも偉くなったじゃない」
「は……?」

 腕時計に目を向け、

「―――げ」

 武は顔色を一転、真っ青になった。
 約束の時間を一時間ほど過ぎている。BETA大戦が終結し時間的な余裕は大きくなったが、それでも夕呼の一時間はそこらの人間の一時間と決して等価ではない。しかもこの日の約束は、武から持ちかけたものだった。
 ―――嗚呼、これでまた真綿で首を絞められる素敵な日々がしばらく続くのか。
 項垂れた武の絶望感や、推して知るべし。
 だが、天は彼を見捨てていなかった。
 本日二人が会う約束をしていたのは、武が休暇を得て一時的に基地を離れるために仕事を調整する、という名目による。つまり、彼は近い内に夕呼の傍を離脱することができるのだ。
 香月夕呼は物理的な距離などものともしない怪物傑物ではあるが、いつでも直接顔を合わせられる距離にいるかいないかは、心の平穏に大きくかかわる問題であった。
 あと数日の辛抱だ、と気を取り直して、

「すみませんでした!」

 日本が世界に誇る最強の謝罪体勢、土下座スタイルを敢行する。
 そして、天は彼を見捨てた。

「失礼します。司れ―――」

 突如入室した武の秘書(♀)が、足を舐めんばかりに土下座する武と、それを嬉しそうに見下ろす夕呼とを見て固まった。
 だが硬直は刹那。
 すぐにカメラを構え、軽快に響くシャッター音。

「ボクはフリーのカメラマンさ!」

 彼女はよく訓練された愉快な秘書であった。

「待てそれは時報フラグ―――」
「白銀! 早く取り押さえなさい……ッ!!」





 ―――という恐ろしい夢を見た。

「閣下。じきに国連太平洋方面第11軍・横浜基地に到着いたします」
「―――あ、ああ」

 肩を揺すられて、武は悪夢から帰還した。
 息荒く眉間を押さえる上官に秘書が尋ねる。

「魘されておられたようでしたので失礼しましたが、お体の具合は大丈夫でしょうか?」
「ああ、……いや、問題ない。ありがとう」

 旧知の人物、その中でも特に夕呼と口を利くとお互い口調まで若返るが、平時の武は階級に相応しい言動をするよう心がけている。これは特に最近になって強く意識していることではあるけれども、実のところ幾度も昇進するまえからのことであり、きっかけは神宮司まりも軍曹の死だった。
 甘えを捨てるために、言葉を正した。
 ごく親しい仲間以外と接するときに乱れた言葉を使えば、神宮司軍曹の教え子は礼儀がなっていないと判断される。あの隊は無礼だと仲間全員が指を差される。それが許せないという思いもあった。
 果たして自分は、神宮司軍曹の教え子であると、先に逝った者たちの仲間であると、胸を張っていえるようになっただろうか。
 彼女らが胸を張って、自分の教え子であると、自分の仲間であると、いってくれるほど立派になれただろうか。
 もういない彼女が胸を張って、自分の愛した男だといえるような人間であるだろうか。
 幸いにして、桜の季節だ。
 数年ぶりに、この時期の桜並木に面会できる。
 家族に会う前に、懐かしい面々に挨拶をしにいこう。




モドル