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死亡フラグ


■白銀武

 オルタネイティヴ4は頓挫し、横浜基地は様変わりした。それまで魔女の本拠地であったため、それは顕著だった。魔女―――香月夕呼が嫌悪し、また真っ向から対立していたオルタネイティヴ5を進めるための基地の一つとなったのだから、仕方がないことではある。
 この世界に何の前触れもなく放り込まれ、生きるために軍に籍を置くことになった武にとっても、周囲の環境は大きく変化した。わけが分からなくとも、現実はそこにある。そのような冷酷な事実を受け入れたつもりであったが、どうやらまだまだ嘴の黄色い雛であったらしい。親鳥がいなくなった途端、世界は更に厳しく感じられるようになったのだから。香月夕呼という最大の庇護者を失い、元207訓練小隊の面々は容赦なく冷たい風に吹きつけられるようになったのだ。
 この世界で生まれたわけではない武に、真の意味での『古い知り合い』はいない。仮に横浜がBETAに蹂躙されていなくとも、それは変わらない。だからこそ、香月夕呼と神宮司まりもが去った後、夢のように平和な世界で教室に机を並べた友人らと同じ顔の戦友たちだけが唯一の心の支えだった。しかし白銀武は主人公ではなかった。あるいは、もう主人公ではなくなった、というべきかもしれない。それまで都合よく進み過ぎてきたツケを払うかのように、彼の周りから仲間たちは姿を消していった。主人公の周囲だけが不自然に、あるいは運よく生き残る現実など、ありはしなかったのである。
 武にとって正真正銘の最後の拠り所は、文章のみで辛うじてつながりが残る神宮司まりもだった。といっても、まりもは夕呼の親友であるという経歴を持ちながら、オルタネイティヴ5勢力下に取り込まれた軍人である。優秀ではあるが、後ろ盾がない―――というより失っている。パスの書き換えにしても綱渡りのように危険な行為であったことは武とて承知しており、香月夕呼が用意した『白銀武』という人間との親密な付き合いを面白く思わない人間がいるであろうことは容易に想像できた。ゆえに手紙をせがむわけにもいかず、その結果、手書きの便箋一枚が武にとっては何にも代えがたい宝となりえたのだ。
 この頃の武は、訓練校での教導から移民船の搭乗パスの書き換えまで、一方的に世話になってばかりだと信じていた。しかし、それは誤りであったと後に知ることになる。
 オルタネイティヴ5が世界の主軸となり、当初、戦場となった国の国土でG弾を用いることにさえ目を瞑れば、史上初といっても過言ではない快挙を続けて上げていた。この時期、元207のメンバーも激戦の中にあって疲れ果てながらも、一人として欠けることはなかった。ダムが決壊したかのように彼らが崩れるには、まだ少しの時間がある。
 武たちが任官して数年が経つ。一度は人類の勝利さえも予感させたオルタネイティヴ5は、あっけなく終焉を見た。米国が強烈に推し進めたG弾の使用が、原理は不明のままに封じられたのだ。
 人類の転落は始まって、気づけば終わっていた。同じように、濁流に飲み込まれ上も下も分からずもがいるうちに、武の周囲から仲間はいなくなっていた。
 死にたくない、という生物として最低限の欲求すら薄れ果てるのに、そう時間はかからない。意識が鈍化し機械のように作業化した生を送っていたため、武には自分がどれほどの期間そのような状態でいたかの認識がない。季節が一つ、ないし二つは変わっていたかもしれない。
 異動はいつでも唐突で、それは異動する者にとっても、異動先の者にとっても同じこと。だから、その再開は両者にとってやはり唐突なものであった。
 武の前にまりもが現れた。
 あるいは、まりもが武の前に現れた。
 相手の顔を見て救われたのは、どちらだったのか。
 武にとって、まりもは最後の『知り合い』であったし、
 まりもにとって、武は最後の『教え子』であったのだ。
 相手に求めるものはそれぞれ違えど、世界でただ一人、相手が求めるものを持つという点は同じ二人だ。互いを必要とし、支え合うようになるまで大して時間はかからなかった。そして、偶然にも男と女であったから、その形が夫婦に似たのも一つのありえる可能性だった。
 人類が攻勢に回ることは、もはやない。せいぜいの抵抗はハイヴの増設を防ぐための間引き作戦ぐらいだ。それを数日後に控えたこの日、武とまりもはいつものように部屋に二人きりでいた。しかし、これはまりもも感じ取っていたことではあるけれども、武の様子がいつも通りではない。普段であれば、戦場にいても日常にいても、相手の考えを読み切れないことはほとんどない。だから、これから来るのは普段通りではない何かだ、とまりもは知らぬ間に身構えていた。
 だというのに、

「まりもちゃん」

 飛んできたのは気が抜ける、しかしどこか懐かしい呼び名であった。二人が付き合い始めた頃は、当たり前のようにこの呼び方をされていた。冷静に振り返ってみれば随分と恥ずかしい。しかし、当時の自分はいまの自分と比べても幸せだった気もする。
 少しの驚きと、少しの拍子抜けとがない交ぜになった表情で、まりもは武を見た。

「どうしたの?」
「結婚しましょう」
「――――――」

 続けて飛んで来た言葉に、まりもは思考を失った。
 武が言葉と同時に差し出した手の上には、開かれた小さな箱。その中心で、銀のリングが安っぽい蛍光灯の光を受けて輝いている。



□フラグを立てる男1

 横浜基地のPX。食事時の賑わいは、基地でもっとも朗らかな喧しさの一つであるといえる。この時代の人間、そして特に軍人にとって、食は数少ない娯楽の一つなのだ。
 今日もがいがいわやわや、もとい、わいわいがやがやとした食堂の一席でのことだった。

「俺、次の作戦が終わったら、結こ―――」
「避けてください中尉!」

 宙を舞う湯呑。
 飛び散る合成宇治茶。
 すっ転んでそれを放り投げたと思しき部下の姿。
 それは中尉と注意を掛けたギャグなのか……ッ!?
 などと考える暇もなく、とっさの判断で、まるで光線属の放つ魔光を避けるかのような機敏さをもって、座っていた椅子から離脱した。一瞬の後、紙一重の差で通り過ぎていく熱湯と鈍器。更に一瞬の後、湯呑と床とがぶつかる音。突撃前衛長の面目躍如である。が、日常にそのような活躍の場などいらないのだ。

「な、何をするだーーーー!」

 当然のように彼は怒る。しかし部下は動じた様子もなく、

「す、すみません、中尉。あまりにも不吉な状況が発生しそうだったため、ついそちらに気を取られ、自分の足元が疎かになっていました」

 などと、冷静に弁明してみせる。
 彼女のいう『不吉な状況』が何を指すのか分からなかったが、まあ、事故ならば仕方がない。そう思うことにして、この件は終いとなった。

「ところで少尉。ちょうどいい所に来たな。せっかくだから聞いてくれ。俺、次の間引き作戦が終わったら、結こ―――」
「危ない中尉!」

 またもや悲鳴じみた声を上げる部下。何事かと思う間もなく、今度は突き飛ばされる。一瞬の後、つい先ほどまで自分の頭が合った位置をやはり湯呑が放物線を描いて通過していった。
 今度は誰だ。そう思い、湯呑の発射地点方向に顔を向ければ、

「ふう……、危機一髪だったな」

 などと、彼の所属する連隊の隊長が呟くところだった。

「ちゅ、中佐殿……! 敬礼!」

 フライング・湯呑のことなど忘れたとばかりに、体が反射的に敬礼の姿勢を取る。それだけ軍人という生き方に馴染んだ証拠である。彼の号令に合わせ、先ほど湯呑を飛ばし、今度は突き飛ばした部下も敬礼の姿勢を取る。

「楽にしてくれ。オレは礼儀とかはあまり気にしないから、休憩中にまでそんなに堅苦しくする必要はない」

 連隊長はそういうが、直接の上司部下の関係ではなく、そして二人の階級が中尉と中佐ほどに離れていれば、硬くなるなというのが無理な話だ。楽にしろといった本人もそれはわかっているようで、自分がいてはやりにくいだろう、と苦笑してすぐに去った。

「あと、PXであんまり不吉な会話をするなよ」

 などといい残していった意味は分からなかったが、上官の言葉に「はい」以外の返事はない。きびきびとした返答の後、理解していないことを見透かした部下から生暖かい目で見られたことはいうまでもあるまい。



□フラグを立てる男2

 何もかもを打ち明けられるとはいわないが、それでも命を預けられる程度には信頼した戦友が、長い軍隊生活の間に彼にも出来ていた。二人が交わす会話の内容は、それこそ何の意味もない下らない雑談から、隊同士の情報交換まで多岐に及ぶ。そしてこの日交わされていたのは前者だった。

「そうだ。お前にはまだいってなかったな。俺、明日の間引き作戦が終わったら、結こ―――」
「ああ、わかったわかった。もう聞いてるよ」
「そ、そうか……」

 きっと自分でいうこと自体に幸福感を得ていたからだろう、言葉は自分でも驚くほどに残念そうな響きを持っていた。
 仕方がないので、この悪友と称すのが相応しいであろう友人にのみ頼むつもりであったことを、口にする。

「それでな……、もし俺に万が一のことがあれば、そのときはお前に彼女と彼女のお腹にいる子のことを頼みたいんだ」
「だからどうしてお前は……ッ!」

 なぜかいきなりキレかけた友人を不可解に思いつつ、話を続ける。

「知っての通り、彼女も軍人だ。子は生むっていってくれたが、それもまだ先の話。できる限り衛士で居続けたいらしい。もちろん俺も衛士だから、その気持ちはわかる」
「ああ、そうだな」
「だから……、次の戦いが終わったら一緒に美味い酒でも飲もう」
「お前ってやつは……いや、もういい。酒の話だったか。すまんが俺には全然話が見えない」
「え? あれ、おかしいな。なんでいまのでわからないんだ? 要するに、彼女が心配だからお前も気にしてくれ。そして、俺にもしものことがあれば二人を任せる。その代わり、無事に帰ってこられたら、俺の奢りで美味い酒でも飲もう、彼女も一緒に。……ってことだ」
「わかるわけないだろう、常識的に考えて……」
「そうなのか? まあいい」

 それからひとしきり自覚のないのろけを垂れ流して友人を辟易させた彼は、ふと思い出して尋ねた。

「そういえば、彼女がいってたんだけど。カップが割れ、靴紐が切れ、写真たてが倒れたんだ、と。これってどういう意味なんだ。知らないか?」
「わかった。……彼女と子供は俺に任せて、お前はさっさと逝っちまえ」
「なっ!? 俺はまだ死んでない! くそ、お前みたいなやつと一緒にいられるか! 俺は自分の部屋で寝る!」
「もともと一緒の部屋で寝ないだろ!」

 結局、喧嘩別れで、間引き作戦を翌日に控えた夜、彼らは各々の部屋に戻ることになった。
 もちろん悪いのは空気も何も読まずにのろけまくった馬鹿である。



■白銀武

 BETAが戦術を使った。ただそれだけのことで、作戦に当たっていた部隊のほとんどが壊滅した。それまでの常識が破壊されることは当然のようにある。そんなの、G弾が無効化されたときに誰もが学んだはずだった。だというのにこの有様だ。ありえないはずの現実に直面し、刹那の思考停止と、そして大いなる混乱。根本的な原因がBETAであっても、この事態を招いたのは人間の心の甘さだった。味方による誤射まで発生し、もはや自壊という言葉が相応しい。
 部下を率いて出撃した武の部隊も例外ではなく、練度の高い部隊であったにもかかわらず、崩れ落ちるのは一瞬だった。他の部隊との連携も取れないままに次々と仲間が墜とされて、それを必死に食い止めようとした努力は何の意味もなかった。辛うじて生き延びたのは、武と部下の一人のみである。
 数日前に指輪を受け取ってくれたまりもは別の部隊に所属している。その生死は知ることができない。人類の剣であり楯であるのが衛士なら、それを振るう頭脳が司令部だ。常に飛び込んでくるあらゆる情報を整理し、戦場を俯瞰する存在は、しかしこのとき処理能力を上回る情報の波濤に飲まれ、半ば以上まで機能を停止していた。だから他の部隊の状況が知れない。連携も取れたものではない。現場の判断で他の部隊と連絡を取ろうにも、冷静な会話ができるほど落ち着いた相手がいない。聞こえてくるのはオープンチャンネルで垂れ流される救援要請と悲鳴と絶望的な状況だけだ。本当ならば武とて同じように思ったことを口にしてしまいたい。けれども、それをしたところで意味はない。むしろ害悪にしかならない。だからたった二機でBETAの大群に囲まれても耐えている。

「くそ。隊長格が揃いも揃って孤立するなんて降格モノだな。帰ったら二人とも腕立て200だ」

 悲鳴の代わりに軽口を叩き、どうにか冷静であることを示す。それはむしろ自分自身へのアピールに近かった。
 きっと同じような心境なのだろう。二機連携を組むのは初めてな相方は、ぼやくようにいった。

「あーあ、アイツ怒るだろうなあ……。白銀中佐。実は俺、この戦いが終わったら結婚するんですよ」
「知ってるよ、旗立中尉」

 ついでにいえばオレもなんだけどな。
 心の中でそう思い、しかし口から出たのは、

「……しょうがない。どうにかお前だけでも生きて帰れるようにしてやる」
「いや、それは厳しいでしょう」
「ちょっとは上官のいうことを信じろ。あと、生きて帰ったらオレの分まで腕立て伏せしとけよ。それにいまの弱気な発言で追加400回だ」

 それから武が伝えた作戦は、作戦といえないほど単純だった。
 片方が安全を無視して大胆な陽動を仕掛け、もう片方が戦場を離脱する。二機で生きようとして両方ともこの場で墜とされるより、一方を犠牲にしてもう一方を確実に生き残らせる。
 人の命ですらコストだ。被害は小さければ小さいほどいい。そこに人の感傷が入り込む余地はない。

「ですが、それなら自分よりも中佐が生き残るべきです」
「バカ、お前がここに残ったら陽動は失敗してオレも死ぬだろうが。決して犬死はしないのがオレの主義だ」
「うわ、当たり前のように酷いことを……」

 馬鹿な会話を通信機越しにやり取りする間にも、手は足は止まらず動いている。
 一秒でも長く生きれば、針の穴ほど小さくとも、好機が訪れるかもしれない。だから諦めることはできない。
 だが、時間切れだった。
 二人とも生き残る奇蹟は訪れず。

「―――よし。次の要塞級との交差直後にお前は離脱しろ。躊躇うなよ? 死んでもアイツらはこの場に縫い付けておいてやるから安心して行け」
「―――了解」
「それと、……」
「中佐?」
「いや、なんでもない。―――行くぞ」
「了解」



■時は流れた

「神宮司先生! ど、どうしてそんな大事な話を私なんかにするんですかッ!」
「どうしてって……、あなたがこの指輪について訊いたからじゃない」
「で、でも! だって……!」
「もう、泣かないでよ。あなたは涙もろいし、こうなることが分かっていたから話したくなかったのに……」

 苗字を旗立というこの少女は、かつてまりもの恋人が命と引き換えに守った部下の娘だった。
 その少女の頭を撫でるまりもの指には、あのときの指輪が今でも白銀色に輝いている。




モドル